3700キロ飛んだミサイル

 朝、かみさんが「ひよっこ、やってない」と騒いでいる。北朝鮮のミサイルが日本上空を通過して太平洋に抜けたニュースで、朝のテレビ小説が「とんだ」という。
 朝鮮半島問題の専門家、木村幹氏は。ツイッターで「我が家では昨晩のうちにミサイル発射情報を入手したので、ひよっこの録画はBSに切り替わっておる。」だと。さすが。
https://twitter.com/kankimura/status/908466819945525250

 なぜ北朝鮮のやることは理解不能なのか、なぜテレビに出て来る専門家の先生方の説明に説得力がないのか。情報量が少ないのではなく、北朝鮮という体制を見る「枠組み」の問題ではないか。それが間違っている、あるいはそもそも「枠組み」を持っていない。
 次回、この枠組みについて書いてみたい。11月に、「北朝鮮をどう見るか」という講演を頼まれているので、勉強もしなくては。


 さかなクンは「これ以上私たち日本のたいせつな自然とたいせつな心を壊さないで‼」とツイート。直筆メッセージも。
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 蓮池薫さんが、フジテレビのインタビューに応じて、めぐみさんの「秘話」などを語ったという。
《「1988年に近くに住むようになって、行き来できるようになって、その当時は結婚もされていたし、しばらくして、ヘギョンちゃんが生まれて、自分でしっかり自炊もしながら生活していた。それが7〜8年くらいはそんな中で暮らした」と話した。
平壌(ピョンヤン)の南東およそ20kmのところにある忠龍里(チュンニョンリ)。人里離れたこの地に建てられた「招待所」と呼ばれる住まいで、蓮池さんや、めぐみさんら日本人拉致被害者は生活していたという。》
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170914-00000415-fnn-int

 これには違和感をもった。というのは、私たちの取材では、拉致被害者たちが忠龍里の招待所にいたのは、84年から86年にかけてだったからだ。そして、そこでは、それぞれの招待所は交流できないよう隔絶されて建てられていた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20151027
 そこから移動した後、86年にめぐみさんは結婚し88年に娘が生まれている。ということは蓮池さんたちとめぐみさんは、同じ忠龍里のなかの違う集落に移動したということなのか。「1988年に近くに住むようになって、行き来できるようになって」ということは、互いに交流できる環境だったわけだ。
 拉致被害者がいつどこで何をしていたという基本的なこともいまだによくわかっていないのだなとあらためて気づかされた。