坂茂Projects in Progress 2

 メダカの稚魚がかわいい。
 10年メダカを飼っているが、はじめ5年くらいは、なぜ赤ちゃんが生まれてこないか不思議だった。共食いの習性を知ってから、卵を産み付けた藻を別の容器に分けるようにして次世代を育てるのに成功。今年は例年より少し遅れて1週間ほど前に赤ちゃんが数匹孵化しているのを発見した。メダカに喜怒哀楽はないと思うが、軽快に泳ぎ回る姿はいかにもうれしそうだ。
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 今月は資金繰りが厳しい。こういうときに海外取材が入ったりするので頭が痛い。それでまた、延べ払いをお願いしなければならないことに。申し訳ない。
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 建築家の坂茂さんの続き。

 TOTOギャラリー・間」で、「SHIGERU BANプロジェクツ・イン・プログレス」が開催されたのに合わせて『坂茂の建築 材料・構造・空間へ』という作品集が出版された。113作品が写真と図面で紹介されている。
http://www.toto.co.jp/publishing/detail/A0365.htm
 坂さんは「あとがきに替えて」で、建築についての基本的な考え方をこう書いている。
 《仕事をはじめて10年ほどすると、特権階級のクライアントの仕事だけをすることに疑問をもちはじめました。歴史的に見ても、現代も同じですが、財力や権力という目に見えない力を持った特権階級の人びとが、その力を目に見えるかたちで社会に示すために、われわれ建築家はモニュメンタルな建築をつくってきました。もちろんそれらの素晴らしい建築が街のシンボルになり、美しい街をつくり得ていますが、自分の技術や経験をもっと一般大衆、あるいは自然災害で家を失った人びとのために使えないか、と考えはじめました。そんな時(1994年)ルワンダ難民キャンプの貧しいシェルターの写真を目にし、その改善のため国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のコンサルタントになりました。1995年には、阪神・淡路大震災の被災地に飛び込み、ベトナム難民用の仮設住宅や教会をボランティアで「紙の建築」として建設しました。とても苦しい体験で、もう二度とやりたくないとそのとき考えたのですが、自分が尊敬する建築家の経歴を見ると例外なく彼らが40歳前後で、生涯を決定づける作品をつくっていることを思い出しました。神戸のボランティアで「紙のロクハウス」「紙の教会」をつくったとき、私は38歳でした。そのとき、「あ〜、これが自分の生涯を決定する作品になったのだ」と思い、この方向で建築家としてこれからも歩んでいこうと決めました。
(紙のログハウス)
 そんな災害支援活動も20年目に入り、世界中の被災地に行くようになりました。今もネパール、エクアドル、熊本で活動をしています。21年前につくった神戸の「紙の教会」は10年後台湾の被災地に移築され、〈パーマネント〉な建築として皆に愛され今でも使われています。しかし、多くの商業建築は、コンクリートでつくられていても数十年もせずに解体され、それが〈仮設〉であったことに気づきます。つまり紙でできていても人びとに愛されれば、〈パーマネント〉になり、金儲けのためにつくられた建築は愛されず〈仮設〉で終る、それが〈仮設〉と〈パーマネント〉の定義であることに気がつきました。そういう意味で、これからも〈人びとに愛される建築〉をつくり続けていきたいと思います。》
 建築家をめざす若い人に聞かせたい言葉である。
(紙の教会)
(台湾に移設された教会)
 「紙の教会」は震災で焼失した神戸市長田区のカトリック教会の替わりに紙管で建てられた。多国籍の人びとが集うコミュニテイホールとして10年間活用された後、1999年に起きた台湾集集地震(約3千人の犠牲者を出した)で被災した埔里(プーリー)に移築され、教会兼コミュニティセンターとして今も使われているという。