明日、急に宮城県、福島県の被災地に行くことになった。
そこで、おとといまで被災地に入っていた友人のジャーナリストと昼ごはんを食べながら話を聞いた。彼女によると、テレビ報道はまだまだあまく、ほんとうに大変なところが伝わっていないという。
その一つに「お役所仕事」があるという。こんな話を聞いた。
きょう2日、岩手県住田町で仮設住宅への入居がはじまった。
岩手県の大船渡、陸前高田から少し内陸に入ったところに位置し、津波被害を免れた住田町は、震災後すぐに、隣接する海辺の被災地のために仮説住宅を建てることを考えた。
住田町は《森林・林業日本一》をめざしており、仮説住宅も地場の木材を使って木の香りと温もりのある建築にしたいと県に申し入れた。仮設住宅は県が作ることになっているからだ。一戸250万円で100戸、計2億5千万円と見積もった。
ところが県が動かない。平時の諸手続きや入札の条件がどうのという話になってきた。住田町にとって大船渡や陸前高田、気仙沼、釜石などの海辺の町は、住民が嫁いだり就職したりと人の交流は密で、地域としての一体感がある。その町々が壊滅し、大量死しているのだから、気が気ではない。
県がやらないなら、町独自でやると走り出した。
以下、朝日新聞の記事より。
《木造一戸建ての仮設住宅13戸が27日、住田町世田米に完成する。被災地の近隣自治体として役に立ちたいと、町が独自に着工した。全体で93戸を建設し、うち14戸は5月10日まで申し込みを受け付けている。
町建設課によると、27日に完成するのは、町営住宅跡地に建設した火石団地。引き続き住田幼稚園跡地の本町団地17戸、旧下有住小学校グラウンドの中上団地63戸が建設中で、5月下旬の完成を目指している。
今、募集しているのは中上団地の一部で、単身者は応募できないが、住所は問わない。住田産の杉がほとんどで一部にカラマツを使っている。2DKの間取りで面積29・8平方メートル。電気、ガス、水道も整備されている。
同町は第三セクターの製材会社などを持っているため、プレハブより安く、工期も1カ月程度でできる。仮設住宅の役割が終われば、分解して物置などに再利用が可能だ。
ただ、災害救助法に基づいて市町村が用地を確保、県が建設する、というパターンの仮設住宅ではないため、基本的には町費でまかなうことになる。町の負担が大きくならないよう、同法に準じて国などから補助が出るよう、県としても働きかけたい考えだ》(4月26日)
最後に「県としても働きかけたい」とあるのは、さんざん批判されてのことらしい。
だが、坂本龍一が代表をつとめる森林保護団体「モア・トゥリーズ」が、建設費用を全額援助したいと申しでており、町としては県の助けはもういらないようだ。
いま評判になっている吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫)を読んだ。
もとは1970年に出た本で、三陸海岸を襲った、明治29年の津波、昭和8年の津波、チリ地震津波(昭和35年)の実態を当時の資料や聞き取りで明らかにしたものだ。
いろんな読みかたが可能だが、「教訓」としても読める。
さっきの岩手県の対応とは反対に、先人たちが迅速で的確な行動をとっていることに驚かされた。
(つづく)