「懐かしい未来」再読8

 都議選の投票を終えて帰宅したら、自宅そばにガマガエルを発見。縁起がいい。 
 きょうの選挙結果は、自民党が現有57からおよそ30(午後9時現在での予測)へと半減。すさまじい負けっぷりだ。国政での自民党政治の惨状、なかでも稲田朋美防衛相の醜態は、効いただろう。
 きのうの朝日川柳より

 ひいきの子何を言ってもかわゆくて  (東京都 池上賢)

 2か月前、今村雅弘復興相が、東日本大震災に関して「東北だったから良かった」と発言したが、この時、安倍首相はすぐに今村氏を更迭している。稲田防衛相は比べものにならないほど酷いことをやっているのに、なぜ大臣に留まりつづけるのか。数日前の夜のニュースショーで、コメンテーターがこともなげに「あだなで呼ばれるかどうかでしょう」と言った。
 安倍首相は「《ともちん》をいじめるやつは許さない!」と言ったそうで、オトモダチなら何をやってもOK。早く退陣させなくては。

 公明党はあいかわらず選挙に強い。だが、国政でも都政でも権力にすり寄り、安倍政治の暴走を容認する姿勢に、創価学会内でも疑問視するむきがあるという。また、驚くべきことに、今回の都議選では公明党の元副委員長、二見伸明氏が、共産党街宣車に乗って、東京都議選で文京区(定数2)から立っている候補を応援した。(写真左から2人目、その隣は志位共産党委員長)その応援演説で、朝日新聞(22日付け)の「読者のオピニオン」に載った元創価学会副会長の碓井昭雄氏の投稿を読み上げた。
 「安倍首相の政治姿勢にどこか下卑た、厚顔無恥の気味があると感じてきた…(中略)公明党は本来、大衆のため、正義のため、平和のために行動する党だったはずだ」「与党の利益のために理想を放棄し、初心を失うようではならない。安倍首相と一蓮托生で行くのか、大衆の側に戻るのか。公明党よ、どこへ行く?」。さすがの公明党にも変化が起きるか。
http://tanakaryusaku.jp/2017/06/00016170(写真もこのブログから)

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 「懐かしい未来」再読、今回で終わり。ラダックで起きたことは世界のどこでも近代化の過程で見られたことだ。これから日本を世界をどうするという議論にも益すると思う。
私たちの文化にも同様の影響をおよぼしていることに気づくようになった。私たちもまた「開発」にさらされているのである」。(191頁)

《開発がもたらす二つの問題点》
 ラダックの変化を目撃したヘレナは、西洋による近代化そのものに根底的な疑問をつきつけるにいたる。伝統的な文化に欠点がなかったわけではない。また、開発=近代化が個別的な点ではプラスになったことも否定しない。しかし、「人と自然、人と人、そして人と自己などの大切な関係について見ると」「今より、開発以前のほうが人びとは幸せだったと私は確信している」と結論づけている。(172-173頁)
 二つの「文化」の比較で、ヘレナがあげる尺度は二つある。
 一つは「社会的には人々の幸福」であり、近代化は「共同体の破壊と自己のアイデンティティの崩壊」をもたらすことによって幸福を阻害している。二つ目は「環境面では持続可能な運用」であり、近代化は「放っておいたら取り返しのつかない」「環境問題を引き起こし」ている。(173頁)
 では、ヘレナは今の事態に絶望しているのか。いや、違う。彼女は、近代化へのもう一つの道を見つけたというのだ。
 「ラダックへ行く前、「進歩」に向かって進むことは避けがたいものであり、疑う余地のないものだと思っていた。そのため、公園の真ん中を突き抜ける新しい道路や、二百年も前から建っていた古い教会の跡地に鉄とガラスの銀行が建ったり、小さな店に代ってスーパーマーケットができること、そして生活が日を追ってより厳しく、速くなっていくという事実を、私は仕方のないものとして受け入れてきた。だが、今では違う。ラダックは、未来への道はひとつとは限らないことを私に確信させ、とても大きな力と希望を与えてくれた」。(10頁)
 これは、近代とは異なるもう一つの文明のあり方を江戸末期に発見し、近代を「人間性に挑戦する文明」であるとして、その超越をめざす渡辺京二のとらえ方と大きく重なるものである。
 そしてヘレナはさらに進んで、近代化=グローバリゼーションに抵抗し、そのオルタナティブ(もう一つの選択肢)を追求する運動を立ちあげたのである。(おわり)