「懐かしい未来」再読5

 稲田朋美防衛相またもやってくれた。
 27日、都議選の自民党候補の応援演説で、「防衛省自衛隊防衛大臣自民党としてもお願いしたい」と重大発言。
 防衛省自衛隊を勝手に代表して特定政党への支持を「お願い」している。公務員は「全体の奉仕者」でしょう?自衛隊員は「政治的行為をしてはならない」はずでしょう?
 これで弁護士がつとまるの?というより、一般常識さえわきまえていないらしい。辞任が相当だ。このところ、自民党の議員、閣僚の人品のなさにあきれている。都議選では痛い目にあわせないと。
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 北朝鮮に2016年1月から拘束され、先週6月13日にアメリカに帰国したばかりだったアメリカ人で元バージニア大学生のオットー・ワームビア氏が、6月19日午後に亡くなった。ワームビア氏は、グループツアーで北朝鮮観光中、滞在先の羊角島国際ホテルの政治宣伝ポスターなどを盗もうとしたとして北朝鮮当局に拘束された。(この容疑自体、疑問視されている)
 今年6月6日、アメリ国務省ジョセフ・ユン政府特別代表(北朝鮮担当)は、ニューヨークで北朝鮮国連大使接触。ワームビアが、昏睡状態であることを把握。トランプ大統領の指示を受けて、急遽、同年6月12日に医療チームとともに訪朝して解放に向けた交渉が行われた。結果、13日にワームビア氏は帰国したが、昏睡状態で、そのまま意識を取り戻すことなく亡くなった。原因は不明だがいたましい。北朝鮮の核ミサイル問題から人権・人道問題に関心が向くきっかけになってほしい。
 日本人にとって意外に思うのが、あれだけ北朝鮮を敵視しているトランプ大統領のもとでも、アメリカは北朝鮮とパイプをもって裏で接触をしているという点だろう。そして、自国民の保護、身柄返還のためには、あらゆる手を使って迅速に動くことには感心させられる。
 北朝鮮による拉致被害者安田純平さんを助け出すために、日本政府はどれだけ真剣に取り組んでいるのか。わが国の姿勢をふり返って情けない気持ちになる。
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(写真はヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん)
 さて、「懐かしい未来」再読のつづき。ヘレナは、近代化による人々の分断が、現在の宗教間抗争にもつながっていることに気付いた。

 《引き裂かれた人びと》
 地域の相互依存関係が崩壊しはじめ、他人への寛容さや協力の度合いも低下している。親密だった共同体や家族のあいだでさえ、言い争いや他人への厳しさが増えてきたとヘレナは報告している。
 人びとはあらゆる面で消極的で無関心になり、個人の責任を放棄しはじめた。相互扶助が消えて権力への依存が進んだからである。
 「かつての村では、灌漑水路を修理するのは村人みんなの責任であった。水路の水漏れを見つけると人びとはすぐに集まり、シャベルで漏れをふさいだ。今では、村人は水路の修理は政府の仕事だと見なしており、修理が行われるまで水路は放置され、水はもれっぱなしである。」(157頁)
 「人と人との深く息の長い結びつきから生まれる安心感とアイデンティティ」が失われてきた。(159頁)
 メディアは西洋式の生活をすべしと人びとを追い立てる。夕食はテーブルで食べ、車を運転し、洗濯機を使うというふうに。人びとは人目を気にし、自信を失い、理想化されたイメージに順応しようとする。近代化は個性の喪失へとつながっている。西洋の核家族が模範とみなされ、伝統的な大家族の形は崩壊しつつある。情緒が不安定になり、物質的なステータス・シンボルへの欲求が強まる。自分を認めてもらいたい、受け入れてもらいたいために物を買うようになる。
 「ピカピカの新しい車を持っている者は、特別扱いをされる。これがさらに受け入れられようとする要求を高める。自分らしさを失い、他の人と離ればなれになる連鎖が動きはじめる。」(160頁)
 「個人の自信喪失が、家族や共同体の結びつきを弱くすることにつながり、それがさらに個人の自尊心を脅かす」という悪循環に陥り、人々は互いに分断されていく。
 女性たちは「自分たちのした仕事に対して賃金を貰わないため、今では「生産的」とは見なされていない」。「昔からの農民は、女性たちとともに劣っていると見なされ、彼らも自信をなくし」ている。(161-162頁)
 ヘレナははじめてラダックに来たころ、仏教徒イスラム教徒が相互に尊敬し協力する姿を見て非常に驚いた。ところが一九八九年の夏、イスラム教徒と仏教徒のあいだの喧嘩が騒動になり、四人が警官に撃ち殺され、ラダックの大部分で外出禁止令が出されるという事態が発生した。彼女は、共同体で自立的に決めてきた慣習が、中央からの政策に取って代わられたことがこうした対立を作りだすと分析する。
 「中央集権化された新しい枠組みの中での地位獲得競争と、自分たちの代表者である政治家を送り込むための競争とがラダックの人びとをますます分断している。民族、宗教的な違いは政治的に重要性を持つようになり、前代未聞の規模で、敵意と苛立ちを生み出している」。「この対抗意識は皮肉にも、つづいてきた宗教的信仰心の衰えに比例するように高まってきた」。(164頁)
 ヘレナは、ラダックに限らず、いま世界で起きている民族・宗教的な対立・抗争は「すべて根本的には同じ原因でつながっている」と考える。経済発展は現存する対立を悪化させるばかりでなく、必然的にさらなる競争へと導いていくからである。(166頁)
(つづく)