「懐かしい未来」再読4

 山形の友人から、佐藤錦が送られてきた。
 「桜桃」と呼ぶのに慣れた耳には、「サクランボ」というのがちょっと気取って聞こえるが、これをつまむのは季節の区切りである。
 この佐藤錦、今やオーストラリアの名産品になって、日本にも逆輸入されている。山形の農園を訪れたオーストラリアの農業関係者に、「どうぞ、おみやげに」と苗をプレゼントしたら、またたく間に広大な面積で栽培が始まった。今は中国はじめ各国にオーストラリア産チェリーとして輸出されており、すっかりお株を奪われたかっこうだ。日本とは夏冬逆転なので、冬のチェリーとして日本でも需要があるという。山形の人ってお人よしだね、ちゃんちゃん、というお話になっている。
 佐藤錦より晩生の紅秀峰という、やはり山形で開発された品種については、県が種苗法違反の訴えを起こしたが、すぐに和解してしまった。和解内容を見ると、いずれ日本への輸入を認めるというもので、実質的には訴えの取り下げ。今や、身の回りのものすべてが国際競争の対象であり、油断も隙もない世の中になった。これが、経済のグローバル化というものである。ああ世知辛い。https://www.pref.yamagata.jp/ou/norinsuisan/140003/publicfolder200708135128504609/eiiaccaaaaaaa.pdf
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 今朝の朝日新聞天声人語が、亡くなった小林麻央さんの毎日の気持ちの持ち方を取り上げた。その中で、やはり乳がんで亡くなった歌人河野裕子(かわのゆうこ)さんに触れた。河野さんは最晩年、こう書いた。
 「・・・ひとつ思うのは、体を病んでいても、歌は健やかな歌をつくりたい。健やかであること。それが、どんな場合にも大切で、ことに、病気をしていても健やかであり続けることは、大きな広い場につづく道があることを約束している予感が、しきりにする。」
 「健やかに」は「爽やかに」ということだと思う。「大きな広い場」というのは、特定の宗教を信じていなくても感じられる「大いなるもの」に出会える場ではないか。味わい深い表現である。
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 さて、「懐かしい未来」のつづきで4回目。先進国から来たヘレナもうらやむ満ち足りた暮らしをしていたラダックに、ついに近代化の波が押し寄せた。共同体は崩れ、人々の意識は急激な変化を見せる。グローバリズムの本質がここに表れている。

 「開発」=近代化がやってきた
 1974年、インド政府は観光を目的に秘境ラダックを外国人に開放した。
 貨幣経済に頼らずにほぼ自給自足で必需品をまかない、豊かで満ち足りた暮らしを営んでいた理想郷に「開発」の嵐が押し寄せる。「開発」の始まりをヘレナはこう記述する。
 「開発」とは西洋式の開発で、インフラ、特に道路と発電施設の建設が柱となる。これにつぐ大きな柱が、西洋式の医療と教育だ。いまではかなり辺鄙な村にも保健所と学校がある。この他の大きな変化として、肥大化する警察権力、中心都市レーの裁判所、銀行、ラジオ、テレビがある。貨幣経済があらゆる所で促進され、政府の補助金で、小麦や米、コークスなどの輸入が増えている。商品を積んだ何百台ものトラックが毎日やってくるため、交通量も急上昇し、何千人という旅行者の足である四輪駆動車やバスが、道路の渋滞やレーの混雑を引き起こし、大気汚染に拍車をかけている。人口の流入とあいまって、レーとその周辺地域に住宅の建設ブームが起こり、都市の無秩序な膨張はスラムを生み出した。
 観光は外貨獲得が確実なため、開発計画の不可欠な部分になっている。観光は関連したビジネスのブームを創り出し、レーには一軒もなかったホテルやゲストハウスが百軒以上も建ち並ぶようになった。観光はラダックの物質的な文化に大きな影響を与えるが、より重要なのは、人びとの心に与える影響である。自分と自分たちの文化に劣等感を抱くようになったのである。「西洋の文化が突然押し寄せてきた影響として、ラダックの人びと、特に若者たちが、劣等感を持つようになった。彼らは自分たちの文化を全面的に拒否すると同時に、新しい文化を熱心に取り込もうといている。若者はサングラスや「ウォークマン」、窮屈なジーンズなど現代のシンボルを追い求める。ジーンズが魅力的とか着心地がよいから着るのではなく、現代的な生活のシンボルになっているからである」。(128頁)
 ダワという青年は、観光客向けのトレッキングガイドになり、村を出てレーに旅行代理店を開いた。ヘレナが町で彼と会い、衝撃を受けるシーンがある。「ある日、バザールで私はメタリックのサングラス、アメリカのロックバンドの宣伝用のTシャツ、タイトなジーンズ、バスケットシューズという最新ファッションを身につけた青年に出くわした。それがダワであった。
 「あなただってほとんどわからなかったわ」と、私はラダックの言葉で言った。
 「ちょっと変わっただろう」と、彼は誇らしげに英語で答えた。(略)ダワは英語で話そうと言い張った。
 「村にはよく帰るの?」「数か月に一度かな、米や砂糖を持ってね。(略)」
 「家に帰るのはどんな気持ち」「退屈だね。あまりにも遅れている。まだ電気もないし(略)」(129-130頁)

 この世はお金で回る
 人びとはこれまで、貨幣を使わずに必要なものを得てきた。高地で大麦を栽培し家畜を飼育し、自分たちで家を建てていた。外部から必要なのは塩だけで、それは交易で入手し、貨幣は限られた範囲で主にぜい沢品に使われていた。ところが…
 「気がつけば、突然、世界的な貨幣経済の一部として、生活必需品にいたるまで遠方からの力が支配するシステムにラダックの人びとは依存していた」。「もしドルが変動すると、やがてインド・ルピーに影響する。これは、生きていくためにお金が必要になったラダックの人々が、国際金融市場のエリートの支配下に置かれているということである。土地に頼っていたころは、自分たち自身が支配者であった。」(132-133頁)
 貨幣ですべてをまかなう経済システムに依存すると、インフレの影響を受け、人びとの頭の中はお金でいっぱいになった。
 「二千年もの間、ラダックでは、大麦一キロは大麦一キロでしかなかった。しかし、今では、その価値ははっきりしない」。今日もし、十ルピーで大麦二キロが買えたとしても、明日はどれだけ買えるか分からない。
 「開発」は村のありようを激変させた。
 収穫時の手伝いなど農作業の伝統的な助け合いでは家中がお祭り気分になり特別な料理でもてなしたが、その習慣も薄れてきて、レーの近郊の畑では見知らぬ土地からきた賃金労働者に頼るようになった。(134頁)
 人間関係が変わり、お金が人びとのあいだに溝をつくり、拡げている。農民をやめる人も出てきた。共同作業ならお金はかからないが、今では農作業の労賃が上昇しつづけて支払えなくなり、村を捨てて街で賃金を稼ぐ農民も出てきた。村では、自給用の食料ではなく、換金作物の生産が当たり前になり、貧富の格差は拡大する。
 「運び込まれる穀物助成金が出るため、レーではパンジャブ地方の小麦粉を買う方が、近くの村でできた小麦粉を買うより安い。米、砂糖、その他の食品にも助成金が出ている。そのため、自分で作物を作るのは「不経済」になってしまう」。(153頁)

 ヤクの代りにジャージー種の牛を飼うようになった。ヤクはラダックの自然に適合した家畜で、4800mを越える氷河地帯に放牧され、燃料、肉、労働力、そして毛布を作る毛を提供してくれる。雌のヤクは日に3リットルと量は少ないが栄養に富んだ乳を出す。しかし、ヤクは「非能率的」だとして、日に30リットルの乳を出すジャージー種を飼うようになった。ジャージー種は高い所では生息できず、飼料を別に生産し、専用の家畜小屋を作り舎飼いしなければならない。(145頁)
 耕作時間の節約のためトラクターなどの機械が導入される。だが実際にはそれは時間の節約にはならない。かつて、生活は人間らしいペースで行なわれたが、開発は、時間を何か売買できるような商品に変え、「時間節約」の新たな技術を手に入れれば、それだけ生活のペースも速くなっていくだけだ。
 ヘレナのラダックの友人が、このご時勢をこんなふうに語っている。
 「私にはわからないね。レーにいる妹は、仕事を早く片付けるためになんでも持っているよ。服は店で買うだけだし、ジープ、電話、ガスコンロも持っている。これらはみんな時間を節約してくれるというのに、訪ねても、私としゃべる時間もないんだ」。(138-139頁)

(つづく)