「伝統を創る」森本喜久男さんの講演

 おお、もう6月後半か。はやいな。先週14日(水)は、このブログではおなじみの森本喜久男さんが福岡で講演をした。週日だったが、こういう機会はめったにないし、森本さんの体調も心配だったので、思い切って行った。安い航空便があって、旅費は助かった。

 天神のアクロス福岡の会場は40人くらいのキャパ。たくさん立ち見が出て、70人くらいはいただろう。カンボジアに森本さんが作った「伝統の森」に行ったことがある人?と司会が聞くと、20人近くが手を挙げた。コアなファンが多い。森本さんによると、日本で講演会をやると聴衆の4割はFBつながりだそうだ。


 森本さんは、体力が落ちていたので車椅子だったが、声は力強く、約1時間の講演をスライドを見せながらやりきった。
 「伝統は守ってはいけない。創っていくものだ」という森本さんの主張をめぐって、会場から、活発な質問が出た。自身も伝統文化の継承を手がけて苦労している人から、「伝統を創る」ということの意味について聞かれた森本さん。こんな意味の答えを返した。
 昔ながらのものをそのまま作り続けては、動いていくリアリティに遅れをとり、売れなくなってしまう。例えば、人間国宝級の漆塗りの名人を知っているが、すばらしいお椀をずっとつくり続けていた。でも、値段の高いお椀を現代人はそれほど必要としない。彼がもし。漆のアイフォンカバーを練達の技で作ったら、高価でも買いたい人がいるはずだ。その時代、時代の人々がほしがる物を作ることで、つまり需要に合ったものを作ることで伝統が生きていく。売れなくては食っていけなくなって、その技能は廃れていく。

 だから、「伝統の森」では、同じ染め材の自然染めでも、年を経るごとに、売れ線によって色合いを変えている。つねにリアリティ、需要と供給のなかで我々は生きている。
 こうしたマーケットリサーチ的な手法で、森本さんのカンボジアの絹絣(きぬがすり)の復興は自力で成し遂げられてきた。行政の補助金でほそぼそと生き残る伝統工芸が多い現実のなか、これはかなり刺激的な議論だと思う。

(ソキアンの織りの実演)

(ワンニーのくくりの実演)
 講演のほか、会場ではカンボジアからきた二人の女性による実演があった。「情熱大陸」に登場した名手、ソキアンが「織り」、若手ナンバーワンのワンニーが「くくり」の妙技を披露。参加者はクメール絹絣の奥深さに見入っていた。即売会では現地からもってきた布が飛ぶように売れ、一日の売上げの記録を作ったと後で聞いた。
 私が森本さんをインタビューして出版した『自由に生きていいんだよ〜お金にしばられずに生きる“奇跡の村”へようこそ』も初日で売り切れた。森本さんの壮大なプロジェクトの意味を多くの人に理解してもらったと思う。
 森本さんは余命宣告を受けているが、さらなる今後の健闘を祈りたい。

(会場を回る森本さん)
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 いよいよ都知事選だ。
 築地市場豊洲への移転が大きな争点になっているが、ここで、ある学者の見解を紹介したい。「「おかしな議論」で豊洲問題は混乱した リスク論の第一人者が読み解く、問題の本質」。私は移転問題にかんして、これがもっとも説得力ある議論だと思っている。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/junko-nakanishi?utm_term=.wk6MgNbgV#.bvZGzn3zY
 中西準子氏は、これまで反公害運動の先頭に立ってきた研究者だ。彼女は、豊洲は安全で問題ないと断言する。意外に思うかもしれないが、ここには中西氏が提唱する「リスク論」という考え方がある。
 次回、さらに紹介したいが、要はバランスの問題だ。魚の洗浄に使われるのは水道水であり、汚染されているとされる地下水ではない。地下水の汚染を取り除くには天文学的な費用がかかり、限られた予算を、そんな無駄なことに使うよりよりも格差の是正や保育所の整備などに使うべきだというのだ。

 実は私には、中西準子氏には多少の因縁がある。彼女は元共産党幹部だった中西功氏の娘さんである。中西功氏は中国研究の大家であり、私は生前、大変お世話になったのだ。
 明日から終日取材が続くので、しばらくブログを更新できないが、この続きは来週書こう。
(つづく)