富山の拉致未遂事件に辛光洙の影

takase222014-11-17

今夜は、先々週放送の「ガイアの夜明け」の打ち上げだった。
弊社で制作にかかわったプロデューサー、ディレクター、エディター(編集者)らが一献かたむけた。
こうやって集まると、テレビ制作というのは、チームプレーだなとつくづく思う。
真ん中で広げているのは、高視聴率賞の賞状。今年2番目の視聴率で、金一封も出た。
盛り上がって、酒ががんがん進んだことは言うまでもない。
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きのうのMrサンデーで北朝鮮工作員辛光洙(シングァンス)についての特集が放送された。
もし錦織がATPツアーファイナルの準決勝に勝っていれば、この特集は「とんで」いたはずだが、残念ながら負けてしまったので放送された。
この中に出てきた、富山県の雨晴(あまはらし)海岸のアベック拉致未遂こそ、北朝鮮による日本人拉致の存在を知らしめた重要な事件だった。(今はアベックという言葉は使わないが)

「昭和53年8月15日、富山県高岡市の雨晴海岸で、アベックが4人組の男に襲われた。
2人は捉えられ、縛られた上、頭から布袋を被せられた。その状態で寝かされていたが、犬の鳴き声が聞こえた後、男たちはその場を離れ、2人は逃げ出して難を逃れた。袋や猿ぐつわ、手錠などの遺留品は日本のものではなかった。」
http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_882.html

実行犯が4人か6人かなどディテールは確定していないが、外国人と思しき実行犯により海岸で拉致されそうになったわけである。そしてこの夏、のちの蓮池さん夫妻、地村さん夫妻そしてまだ帰還していない市川健一・増元るみ子さんの3組の日本人カップルが同じように海岸でデートしていて失踪していたのだった。

富山の拉致未遂と3件の失踪事件を結び付けて、初めて報道したのが、産経新聞の阿部雅美(まさみ)記者だった。1980年1月のことだった。
この拉致未遂事件については、荒木和博さんのブログが最も詳しい。
http://araki.way-nifty.com/araki/2009/07/post-c5ba.html

辛光洙は、拉致未遂の2年前に、当時同棲していた在日の女性をともなって、この雨晴海岸を歩き回っていた。拉致の下見だった可能性もある。

拉致されかかったカップルの女性が、週刊朝日の記者に辛光洙の写真を見せられて、こう答えている。
「あっ、見覚えがあるわ。じっくり見てどうということはいえないですけれど、パッと見た感じ、見覚えがあります」週刊朝日85年7月15日)
この週刊朝日の取材はすごい。
85年6月に辛光洙の逮捕が発表されるとすぐに、拉致未遂事件の当事者に辛光洙の写真を見せてインタビューしているのである。

こうした先人たちの個々の貴重なスクープがあったにもかかわらず、拉致問題は大きな社会的注目を集めることなく、時間が過ぎて行った。
日本に住む全員に責任がある、とは言わないが、単に政府を責めて済むことではないと思う。