記憶の断片に触れる写真

世の中に、いっせいに花が溢れている感じがする。

きのう、自宅近くの老木のサクラは花びらが散りかかって、家の人が道路を掃いていた。

電車で四谷へ。ホームから、土手にはムラサキハナナ、線路には菜の花が見える。菜の花といってもいろいろあるそうで、これはセイヨウカラシナかな。

お茶の水靖国通り沿いの植え込みにサツキ。中央にあるのは、東京で一番古い商店街といわれる「前垂会」の「平和の鐘」。
春爛漫だが、きょうは東京は夕方から雨に。変りやすい天気だ。
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 原美樹子写真展(新宿ニコンサロン)に行ってきた。
 先日、木村伊兵衛写真賞受賞を紹介した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170326

 大学を出て就職したが2年でやめたくなったとき、たまたま親からもらった一眼レフカメラが手元にあったのが写真家になるきっかけだったという。写真専門学校の夜間部で学んで、その同期の原英八氏(写真家)と結婚する。
 ピントは目測で適当に合わせてファインダーものぞかずに撮る。

 「目の前を通り過ぎていく風景であったり人であったりを、なるべく静かにすくい上げたいと思っています。目の前のものに対して、感情、言葉が湧き上がってくる一歩手前、が気になっているのかな。見てくださったそれぞれの方の記憶の断片に触れるような、そんな写真であればいいなと思います」

 また、こうも表現している。
 「カメラの眼は、わたしの眼より清廉であり、平明であり、冷徹であり、強靭であるように思います。カメラは、撮影者の思考を視覚化するというよりは、わからないものをそのまま受けとめる、人が意識化できないものをゆっくりとすくいあげることのできる装置として、とてもすぐれているのではないかと感じています。ですので、撮影者であるわたし自身はなるべく透明な存在でありたいと思っています」。(『These are Days』より)
 3人の男の子の育児で「写真どころではなくなった」り、がんになった夫の看病などで写真を諦めかけた時もあったそうだ。展示された写真のなかに、カメラをどこかの公衆トイレの鏡に向けて、小さい子どもを抱えた自分を獲ったものがあった。そういう経緯を経て第一線で評価されることに共感する。
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 日曜は、カンボジアの「伝統の森」で森本さんを補佐している岩本みどりさんが江東区のWild Silk Museumで講演するというので、ご挨拶にいってきた。講演会は盛況で、布もたくさん売れたようだ。私は別件の用事で、ちょうど終わったころに行って打上げで一緒に飲んだ。

 みどりさんによると、『自由に生きていいんだよ』が「伝統の森」を訪ねてくる若者に好評でよく売れているという。
 このところ、「この本をバイブルとして読んでいきます」とか「出産してからずーっと私が抱えてたモヤモヤが吹き飛ばされた」などのうれしい感想が寄せられて、大変だったけど出版してよかったと思っている。