第38回土門拳賞授賞式にて

 4日(木)の朝日川柳より


忖度(そんたく)を宣伝する世に成り果てぬ  兵庫県 野々口直秀
 エライさんが行政を私するのは当然で、私は忖度して実現してさしあげました。そんなことを誇らしげにいうとは世も末だな。今の政権はここまで腐っているのかと愕然とする。

 

黙秘させペラペラ語り梯子(はしご)する   茨城県 樫村好則
お祭りは済んだぞメディア煩(うるさ)いぞ  福島県 根本 中

 新元号、直前まで極秘にしておいて、いったん発表になると自分の手柄のようにメディアをハシゴして話しまくる。中国の古典からではないことを強調して支持率アップにつなげた。
 メデイアははしゃぎすぎ。しょこたんNHKの新元号特番で「どんな元号になるか、ドキドキしますね」などと煽り、発表直後からどのチャンネルもいっせいに列島各地から喜びの声を中継した。乗せられたのか、自ら乗ったのか。反省すべし。
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 東京・国立(くにたち)市は駅前からつづく桜並木が名物だ。
 ここが桜の名所になったのは、今上天皇の生誕(1933年)を祝してその翌年に大量の桜が植えられたのがはじまりだ。老木となり枯れかかったものも多く、それをケアしようという市民の桜守活動が行なわれている。https://takase.hatenablog.jp/entry/20171126

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 いま桜守活動を中心で担うのは子どもたちだ。一橋大学の前を通る「大学通り」には、桜を大切にしよう、木の根っこを踏まないで、などと書かれたポスターが立てられ、桜の根の周辺には菜の花などの草花が植えられている。子どもたちを指導しているのは大谷和彦さんで、毎年、桜コンシェルジュ展というアート展示もこの時期行っている。関心ある方はおはこびを。
大学通りの桜の保全活動には、大人のみならず、たくさんの子供たちが関わっています。2小、3小、5小、6小、7小、桐朋学園小学校、音大付属小学校、都立国立高校、都立第五商業高等学校の、生徒の皆さんの桜への想いの作品を会場いっぱいに飾ります。どうぞ見に来て下さい。入場無料です。
 日時  3月29日(金)~4月11日(木)  9時30分~17時
 会場  国営昭和記念公園 花みどり文化センター 第一、第二ギャラリー》
http://www.showakinen-koen.jp/information/sakura20190329/
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 5日(金)、第38回土門拳賞授賞式に招かれ、如水会館に行ってきた。
 このあいだブログに書いたように。今年の受賞者は高橋智史さん。https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/03/29/

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 授賞理由:受賞作の『RESISTANCEカンボジア 屈せざる人々の願い』は、カンボジアの強権政治に屈することなく闘い続ける人びとに迫ったドキュメンタリー。監視される日常生活、抗議の現場、デモ行進の最前線で、自身の安全をも顧みず、声を挙げ、祈り、仲間を助け合う市民の姿を追った。写真は全世界に発信され、知られざるカンボジアの現況と圧政に負けず闘う人びとの姿を世界に伝えた。

 高橋さん、2003年から15年間も撮影し続けた。
 受賞者挨拶で高橋さんは「不当な形で弱い立場に追いやられた人たちの願いを、何が何でも伝えると、その志をもとに、ファインダーを通してカンボジアの人々の願いを見詰め続けてきました」と語り、その決意をいっそう強めたエピソードを披露した。
 ある土地を強制収容された人々のデモを取材中、当局者が高橋さんの腕をつかんで、いますぐその(カメラの)データを消せ、さもないと投獄するぞと脅した。するとデモをしていた人たちが当局者と高橋さんの間に割って入って「人間の壁」を作って守ってくれた。「今すぐこの現場からサトシは逃げて、我々の届かぬ願いを伝えてくれ」と切望を託された。だから彼らの願いを受け止め、伝えるという志を貫き通していきたいと高橋さんはあらためて固く誓ったという。
 ジャーナリストが外国の紛争地になぜ行くのかという原点をここに見る。カンボジアの強権政治のもとで、国内のメディアも政治家も言論を封じられ、人々は「届かぬ願い」を世界に発信してくれと高橋さんに託した。カンボジアの人々は、高橋さんというジャーナリストを通じて世界とつながることを期待しているのである。
 高橋さんは、人々の願いを何が何でも伝えるという決意を、気負うことなく素直な表情で語った。今のジャーナリズム界にこういう志をためらいなく言える人がどれほどいるかなと考えさせられた。

 選考委員の写真家(大石芳野鬼海弘雄中村征夫)が三人とも欠席でさびしかったが、授賞式のあとの祝賀パーティでは、石川直樹(第30回受賞者)、桑原史成(第33回)、三留理男(第1回)の諸氏と久しぶりにご挨拶できた。
 懐かしい人にも出会えた。パーティの祝辞を述べた熊岡路矢さん(カンボジア市民フォーラム共同代表)で、彼と会ったのは1983年、タイで。高橋さんが生まれた頃だ頃だ。当時、熊岡さんは、日本の海外NGO活動のさきがけとなったJVC(日本ボランティアセンター)で、タイのカンボジア難民キャンプの救援活動をしていた。あれから35年、今もカンボジアを良い国にしようという地道な活動を続けている。
 昔話をしていたら、熊岡さんが、「あのころバンコクにいた日本人、ボランティアもジャーナリストもバックパッカーも、クセのある人がいっぱいいましたね。今の日本はサーッと漂泊されちゃって、クセのある人はいなくなっちゃいました」と言う。
 「漂泊された」という表現が面白くて笑ったが、分野は違うけれど、熊岡さんも世相をそう見ているんだなと同じ年配者として共感した。

     いい授賞式だった。

    16日から新宿ニコンプラザで、高橋さんの受賞記念写真展が開かれるので、おいで下さい。