アフガンの麻薬とタリバン

 きょうは「タリバン政権と故中村哲医師のレガシー」というテーマでズームで講演した。主催は日本ジャーナリスト会議JCJ)。

 70人くらいの参加があった。内容を盛り込みすぎかと心配したが、講演後、何人かの方から、これまで聞いたことのない話でおもしろかったとの感想がメールやラインでよせられ、少しほっとした。

 とくにアメリカが20年におよぶ米国史上最長のアフガニスタン戦争に1兆ドルという莫大なお金と膨大な人員、労力を投入したことで、イラク戦争と相俟って、国力を激しく消耗したことが、同盟国、とくに日本に負担を求めることにつながり、今回の日本の安全保障政策の大転換をもたらしたという指摘には反響があった。

 アフガニスタン侵攻はアメリカという国家の、そして世界秩序の転機を招来し、結果、日本の進路をも左右すると私はとらえている。つまり、アフガニスタンの事態は「遠い国の、自分と関係ない話」ではない。

 しかも日本は米国に次ぐ、7500億円という巨額のお金をアフガニスタンに注ぎ込んだあげく、この国をずたずたにしたのだった。その「責任」もある。

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 講演で触れたなかに麻薬問題がある。きょうは中村哲先生にかんする連載はお休みにしてこの話を書こう。

 アフガニスタンは世界のケシ由来の麻薬の8割を生産するともいわれる麻薬大国だ。

 去年11月にアフガニスタンを取材したさい、私は首都カブールで多くの麻中毒者、薬物依存者を見かけた。麻薬を生産する土地では必ず使用もされるので、常習者、依存者が多くなる。この国の麻薬常習者・薬物依存者は人口4000万人の1割、400万人とも言われ、その人口比は世界でも突出して高い。

 首都の中心部にある公園では真昼間から常習者が地面に寝そべっていた。郊外の墓場にも常習者の集団がいた。カメラ取材したのは、カブール市西部のソクタ橋周辺。ここだけで1500人から2000人の麻薬常習者・依存者が「住んで」いるという。

橋の下にたむろする麻薬常習者(筆者撮影)

 汚水が流れ、腐った匂いが漂う橋の下に数人でかたまり、煙を吸っている。ヘロインと「シーシャ」という安い覚醒剤系の薬物だ。(水タバコのシーシャとは別)「貧者のドラッグ」と呼ばれ、最近はヨーロッパでも問題視されているようだ。

不衛生きわまりない環境に「住んで」いるという

 ヘロインは、ケシの樹液から採れるアヘンを精製したもので麻薬の王様ともいわれる。

 先日、アフガニスタン・ペーパーズ』(クレイグ・ウィットロック著)という本を読んだ。

 アフガニスタン戦争に直接にかかわった政治家、軍人、NGO活動家、外交官などおよそ1000人の証言をもとにして、アメリカのブッシュ、オバマ、トランプの3代の大統領や軍司令官はじめ国のトップが米国民を欺き続けてきたことを暴露している。ベトナム戦争にかんして『ペンタゴン・ペーパーズ』というのがあったが、そのアフガニスタン版ともいえる。すばらしい調査報道の本だ。


 アフガニスタンにおける麻薬と戦争について、本書はこう語る。

アフガニスタンのケシ―この植物からアヘンが抽出され、ヘロインが作られる―は、何十年ものあいだ、世界の麻薬市場を支配してきた。しかし、2001年のアメリカ主導の侵攻の後、アヘンの生産は新たな高みに達した。苦労ばかりで収入の少ない農民たちは、ターリバーンの支配が崩壊したのに乗じて、できるかぎり多くの換金作物を栽培した。米国当局の推計によると、2006年には、ケシがアフガニスタン全経済生産高も3分の1を占め、世界のアヘンの80~90パーセントを供給していたという

 麻薬ブームはターリバーンの復活と並行しており、ブッシュ政権は、麻薬収入が反乱勢力の復活を支えていると結論づけた。その結果、ブッシュ政権は、農民がアフガニスタンのケシの大部分を栽培している南部ヘルマンド州でアヘンの取り締まりを推し進めた。》

 つまり、ケシ栽培は、2001年にNATO軍がタリバンを攻撃して政権から追いだしたあとに増えた。そして、権力を失ったタリバンが次第に勢力を強めてくると、米国はそれが麻薬のせいだとして取り締まりを始めたというのだ。

 だが、この取り締まり作戦はすべて失敗する。そもそも、アメリカが後ろ盾になっているアフガニスタン政府の中央の要人や地方の知事、警察のトップらがみな麻薬ビジネスの当事者であり、現場の取り締まりも賄賂で頓挫。取り締まられたのは貧しい農民たちだけだった。

ケシ栽培は主に、政治的つながりや賄賂を支払うためのお金がない貧しい農民に打撃を与えた。疎外された極貧の彼らは、ターリバーンにとって完璧な新兵となった
「ヘルマンド州の人々の収入の90パーセントは、ケシの販売によるものだ。今、われわれはそれを取りあげようとしている。」「ああ、もちろん、彼らは武器を手に取り、あなたを撃つだろう。なにしろ生計の手段を奪われたのだから。彼らには養うべき家族がいる。」(麻薬取締作戦のアフガニスタン軍部隊に助言した米軍将校、ドミニク・カリエッロ大佐)》

《(ケシの根絶)作戦の前、ヘルマンド州は、ターリバーンとの戦いにおいては、比較的静かな地域だった。しかし、作戦が開始された後、反乱勢力が押し寄せた。「ケシ根絶作戦によって、ヘルマンド州で戦うために、より多くのターリバーンが集まってきたようだ。おそらく彼ら自身の経済的利益を保護するため、さらに、地元住民のケシ作物を『保護』することによって住民の支持を得るためだろう」とニューマン(米国大使)は5月3日の電報で報告した。2週間後、米国大使館の別の電報によれば、州都ラシュカル・ガーの治安は「ひじょうに悪く、悪化しつづけている」とのことだった。》(P148~152)

 アフガニスタンの農民はなぜケシを栽培してきたのか。
(つづく)