欧州をめざす難民のニュースが一気に出てきた。
うちの会社では、いま欧州で1班が難民を取材しているのだが、急遽もう一つの番組でもやることになり、あす、もう1班が出発する。それで、連絡やら準備やらで土日もてんてこ舞いだった。
トルコの海岸に打ち上げられた子どもの写真がきっかけで、動きが急になっている。
ドイツはシリアなどからの難民を受け入れると表明。ハンガリー政府が規制する政策を転換し、オーストリアを経由して5日だけで1万人もがドイツに入る見込みだという。大移動である。
イギリス、オーストラリアなど各国首脳が難民受け入れの促進を表明しはじめた。
一枚の写真が、世界を変えることもある。もちろん、ちょうど機が熟していた。
日本人にも難民をどう見るのか、考えさせる機会になっている。
難民というと、私たちはすぐに「やっかいもの」とイメージしがちだ。
「来られると困る」存在なわけだ。
難民受け入れの進む欧州でも、その数の急増に、国によっては国境警備を強めて入れないようにしてきた。つまり「対策」といえば、まずは「治安対策」を議論することになる。
結果、不法な抜け道をさがしてあの写真のような悲劇が起きる。それで、今回、規制の強化から方針転換しようという動きになっている。
しかし、難民になりたくてなった人はいない。故郷を捨てて避難せざるをえない原因があるのだ。この当たり前のことを忘れてはならない。難民は結果なのだ。
難民が増え続けているのは、私たちが、世界各地で起きる戦争や紛争、圧政をなくすことができないばかりか、いっそう多く生み出してしまっていることを意味する。
私たちの無策の結果が難民の急増なのだ。
この写真は、シリアでアサド政権の軍隊によって瀕死の重傷を負った子どもだ。
9月5日、シリア各地ではアサド政権に47人が殺されたという。
https://m.facebook.com/hashtag/by_assad_regime_crimes
『イスラム国とは何か』にも書いたが、「イスラム国」から殺される人数の数倍をアサド政権が殺している。
人々は、その地獄から逃れようと流浪するのだ。
シリア難民問題への根底的「対策」は、彼らに衣食住を保障することではなく、シリアの現状を抜本的に変えることだと思う。
(つづく)