宇宙人いるぞ土星に行かずとも

takase222015-03-13

宇宙人いるぞ土星へ行かずとも          (東京都 内田堂文)

これには笑った。日本列島では、震災をさまざまな思いで振り返っていた3.11、元首相ともあろう人が、クリミア半島ではしゃぎまわっていた。旅券返納命令は、こういう人に出してほしい。

国内の邦人救出道半ば          (東京都 鈴木英人

世論を騙すために、政府は、海外の日本人を救出するという感情に訴える事例を出してくるが、被災者の生活の再建をしっかりやってもらいたい。(2句とも朝日川柳より)
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ちょっと前になるが、石巻日日新聞の武内さんが、ウイリアム王子を案内してたよ」とかみさんに聞いていた。
日日新聞の過去記事を見たら、おお、武内さん、手書きの壁新聞を王子に見せている写真が載っている。武内さんは、震災で輪転機が動かず、手書きで壁新聞を出したときの報道部長だ。

英国のウィリアム王子の最後の訪問先として、在日英国商業会議所が積極的に支援活動を行った石巻地方が選ばれたという。
石巻日日新聞社の関連施設「石巻ニューゼ」と日和山、女川町は「きぼうのかね商店街」を訪問し、関係者から被災時の様子や復興状況などについて積極的に聞いた。》http://www.hibishinbun.com/
石巻ニューゼでは震災直後、避難所に張り出した手書きの壁新聞を見ながら、石巻日日新聞社の武内宏之常務(57)から、被災後の救助活動や復旧状況などについて説明を受けた。また同施設2階「レジリエンス・バー」では、木工房「木遊木(もくゆうぼく)」=東松島市大塩=を営む遠藤伸一さん(46)、綾子さん(同)夫妻と懇談した。
 遠藤さん夫妻は震災で3人の子どもを亡くしており、悲しみを胸に秘めて語る2人にウィリアム王子は「私も若いころに大切な母を亡くしたので、少しは気持ちが分かる」と、急逝したダイアナ元妃について触れた。その上で「今も母を思い出し辛いこともあるが、これからはそのような時、今日のことを思い出す」と語った。話を聞いて涙ぐむ伸一さんの腕をさすりながら、「あなたは立派な父親だと思う」と励ました。
 続いて訪れた日和山でウィリアム王子は小雨の中で傘もささず、亀山紘石巻市長の説明に耳を傾け、「人々はどのような様子で津波を見ていたか」などと質問。「今回の訪問は石巻を訪れることが一番の目的だった」と話し、亀山市長に哀悼の意を伝えた。》

イリアム王子は、ホームレスの心情を理解するために自ら路上で夜を過ごしてみるなど、面白い逸話のある人で、国民の人気が高いという。
武内さん、元気そうでよかった。
石巻ニューゼ」には壁新聞の現物などの資料だけでなく、お土産の小物などもおいてある。2階の「レジリエンス・バー」でくつろぐこともできます。石巻に行かれるさいは、ぜひ立ち寄ってみてください。
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きのうの、私がマニラで自動小銃の男たちに付け狙われていたというお話。私がそんな目に遭う背景は、日本人のフィリピンへの腎臓移植ツアーにあった。

《日本でフィリピンでの腎移植をあっせんする業者が動き出し、1988年、ついに初めての日本人レシピアントが移植を受けることになった。
ドナーはなんとフィリピンの長期刑の囚人だった。移植手術のために囚人を2週間刑務所外に出す許可をはじめ、深い政府の関与があり、どうみても事実上の国家がらみの臓器売買だと思われた。

私たちはこの動きをフィリピン側から知り、日本側からは大阪の毎日新聞が取材をはじめていた。

日本人レシピアントが払う金額は2000万円を超える。
取材の結果、囚人は「高い博愛主義の精神にもとづいて腎臓を提供します」という念書をかかされ、実際にはわずか日本円で10万円ほどの謝礼をもらうだけという実態が分かった。
私は刑務所の中に何度も入って、腎臓移植経験者の囚人をインタビューした。彼らはシャツをまくって大きな手術跡を見せ、ドナーの国籍やもらった金額について証言してくれた。
問題は、提供者が死刑や長期刑の囚人だったことだ。フィリピン人はワルであっても家族思いだ。多少でも家族に仕送りができれば、腎臓の一つはくれてやるという人が多い。つまり、囚人をドナーにすればきわめて安く腎臓が手に入るというわけだった。
その取材は、テレビ朝日ニュースステーション」、日本テレビ「追跡」、TBS特番(吉永春子ディレクター制作)と3局で番組化された。

すぐに政治問題化し、日本でもフィリピンでも問題は国会まで行った。
結果、モンテンルパの所長以下、看守らが更迭された。>私を探していた武装集団は、その看守グループであったと思われる。
モンテンルパ刑務所に取材に行く際、私は電話で知らせてくれた旅行会社のドライバーと車を使っていた。私の居場所を知らない看守グループは、ぐるぐるマニラ中を回って、私たちが取材で使ったその車をさがしていたのだ。相当な執念である。逃げて正解だった。》

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20071013から引用)