「使命」という言葉が好きだったが、最近ますます大事に思えてくる。
年末、石巻日日新聞の「ニューゼ」を訪れたことを書いたが、そこで阿部美津夫さん(62)という方と会った。
「ニューゼ」の呼び物は、震災直後に印刷できなくなって手書きで出した壁新聞の展示なのだが、その向かいの壁一面に震災関連の写真が貼ってあった。ちょっと報道写真とは感じが違うなと思って観ていたら、撮った本人である阿部さんがそこにいたのだった。観に来る人に話をするため、時間があれば「ニューゼ」につめているという。
17日(木)の朝日新聞夕刊を見ていたら、阿部さんが、阪神大震災18年のこの日、兵庫県で写真展と中学校での講演をしていることが大きく報じられていた。見出しは「伝える使命」「東北撮り阪神の子たちへ」
阿部さんの被災体験は悲惨だった。
石巻市で建築会社を営んでいた阿部さんは、妻と高台に避難して無事だったが、3日後、近くに住む看護師の長女(37)と、その息子(10)と娘(9)が車の中で寄り添うように亡くなっているのが見つかった。
何もする気が起きずに泣いてばかりの毎日を過ごしていた阿部さんだったが、そのうち、これだけの被害を忘れてはいけないとの思いで、20年来の趣味のカメラを手に被災地を歩き続けたという。
去年2月、高台にある公園から街をじっと見つめて撮影をする阿部さんと、ボランティアで石巻に来ていた女子大生が挨拶をしたことから縁ができ、今回の催しになったという。
《東日本大震災で娘と孫2人を亡くした男性が17日午前、兵庫県西宮市の中学校を訪ね、体験を語った。かつて阪神大震災で大きく揺れた大地に育った生徒たちは、被災者の思いを敏感に感じとった。
「残された人間はものすごくつらい。でも、いくら頑張っても、そこからは逃げ出せない。そんな1年10カ月、シャッターを押してきました」
大破した車やがれきの山、燃えた学校――。18年前、阪神大震災の避難所だった西宮市立平木中学校の体育館に写真が映し出された。350人の生徒たちがそれを食い入るように見つめた。2年生の男子生徒は「毎日学校に来て普通に生活することをありがたく感じた」。》(朝日新聞)
写真は、がれきを背景にした2人の女性の後姿「HOPR−希望−」。「ニューゼ」で私もいいなあと思った一枚だ。悲惨な中に温かみを感じさせる。
今度、阿部さんに会うときがあれば、写真を撮り続ける「使命」についてつっこんで聞いてみたい。
・ ・・・・・・・
人は「使命」に生きるべし。
こう説いたマルクス・アウレリウスの『自省録』を解説した素晴らしい本が出た。岡野守也『ストイックという思想』(青土社)。
「楽しいか苦しいか」、「幸せか不幸か」、そんなことはどうでもいいという生き方があって、それは今の私にも、また現在の試練の中にある日本にも必要なものだと思う。これは私のために書かれたような本だと感じた。死ぬまで愛読書になるだろう。
きわめつけの一節を紹介しよう。
おお宇宙よ、すべて汝に調和するものは私にも調和する。汝にとって時を得たものならば、私にとって一つとして早すぎるものもない。おお自然よ、すべて汝の季節のもたらすものは私にとって果実である。すべてのものは汝から来り、汝において存在し、汝へ帰って行く。
宇宙にとってOKなら私にとってもOK。この哲学を身につけてしまえば、どんな困難がやってきても、悲嘆にくれたり、パニックになって騒いだりすることはない。
岡野さんの解説。
《すべての出来事、常識的に言うと悲劇的な出来事でさえ、宇宙のもたらしたものと受け止めることができたならば、私たちは幸不幸という物差しを超越してしまうことができる。そして生きられる間は生き、死ぬべきときは死ぬという、非常にきっぱりとした爽やかな生き死にの仕方ができる・・・はずです》
そして死んだら「汝へ帰って行く」ので、無になるわけではない。
アウレリウスの「使命」への考え方は、単なる倫理的お説教ではなく、こういう壮大な宇宙観から導き出されているのである。
機会があれば、このブログでも紹介していきたい。