斎藤隆夫 こんな政治家がいれば・・

takase222014-12-06

みごとな東京国立博物館の大銀杏。
先日、日本国宝展に行ってきた。

玉虫厨子はじめ教科書でしか見たことのなかった国宝の数々が集められているというのだからぜひに、と出かけたのだった。
時間に限りがあって急ぎ足で回ったのだが、行ってよかった。
特に印象に残ったのが土偶縄文のビーナス」など5体が展示されていた。岡本太郎縄文土器に衝撃を受けたというが、分かる気がする。土偶はみな小さいのだが、その意匠の°独創性、力強さ、迫力に惹きつけられる。
私にもこういう感性が引き継がれているはずだと思うと、不思議である。
飛鳥時代以降は、圧倒的に仏教に関係する絵画、彫刻、文書で占められ、仏教抜きに日本と日本人を理解することはできないとあらためて思った。
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4日の夜、NHK BSで「英雄たちの選択 開戦前夜!政治家斎藤隆夫の挑戦〜命をかけた名演説」が放送された。
ディレクターで制作にあたった山田和也さんから放送案内をもらった。
《主人公は、戦前から戦後にかけて活躍した政治家・斎藤隆夫です。
私たち政治の門外漢にはほとんど知られていない斎藤隆夫ですが、なぜ知られていないのか不思議なほど魅力にあふれた人物です。(略)憲法と議会のために闘った言論の勇士です。
と言っても革新系ではなく保守王道の人。イデオロギーを超えて、政治家に尊敬されている知識と胆力を兼ね備えた政治家です。
総選挙前10日の放送としては、タイムリーなテーマだと思います。》

恥ずかしながら、私もこの人物を知らなかったのだが、まさに体をはって軍部の暴走を抑えようと議会で闘った姿に感銘を受けた。
すぐに本屋で斎藤隆夫『回顧七十年』(中公文庫)を買ってきて演説を読んだ。

斎藤は、1936年の「2.26事件」の2か月後に、軍人の政治活動を厳禁せよと訴える「粛軍演説」を行い、問題は、青年将校20人にとどまらず、軍の上層部に糸を引くものがいるのではないかと迫っている。
1時間25分の大演説で、「その間満場は粛然として一言の私語を聞かず」と斎藤は書いている。翌日すべての新聞が一面で報じた。
衆議院の大論戦展開、事件根絶に一刀両断、軍当局の決断を望む、斎藤隆夫氏の熱弁」(東京朝日新聞
「斎藤氏熱火の大論陣、国民の総意を代表し今事件の心臓を衝く、軍部に一大英断要望」(東京日日新聞

また、1937年に盧溝橋事件から日中戦争がはじまり戦線が拡大の一途をたどるなか、元旦の日記に「一大質問演説をなすべし」と書きつける。
そして、周囲からは、命を失ってしまうぞと心配されながら、また、元陸軍大臣宇垣一成からは「妙な方向に進みおり候。ご用心肝要に候」との忠告のハガキをもらいながら、1940年2月2日、「支那事変処理に関する質問演説」を行っている。
そもそも、この戦争の目的が何かわからないと政府を批判した。命がけの演説だった。
3月7日、斎藤の除名が衆院で決議され、代議士資格を失う。
こんな政治家がいたのか、と感銘すると同時に、今、こんな政治家は見当たらないな、という思いを持つ。選挙前で、政治家とはいかにあるべきかを考えさせられた。

除名決議はうらで軍部が圧力を加えたこともあって、賛成296、反対7という圧倒的な票差だった。
その反対の7人には、芦田均片山哲という戦後首相になる政治家がいた。スタジオで筒井清忠氏(社会学)が、こういう抵抗した政治家がいたことによって、戦後、日本で議会制民主主義がすぐに復活できたと解説した。
今うまくいかない営みでも、それが種になって、将来花開くことがある。そんな歴史のイメージがひろがった。