菅原文太が贈った「仁義」

takase222014-12-05

仁義
色紙に書かれた文字の横に「菅原文太」の署名。


きょうは、久しぶりに私の「カリスマ」に会ってきた。
日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会の理事長、永戸祐三さんである。ワーカーズコープの新事務所お披露目のお祝いに行ったら、この色紙がかざってあった。
色紙は、永戸さんが、11月5日、奥さん一緒の会食をしたとき、3枚書いてくれたうちの一枚だという。
(きょうはかなりオタクな話になることを、あらかじめお断りします。)

永戸さんは1972年から74年にかけての全学連委員長で絶大な人気を誇った人だ。いわゆる代々木系全学連の最後の栄光のリーダーである。
水戸さんを輩出した中央大学にかんするこんな歌が当時あった。

動員が、都学連からかかれば
明治、法政どこへでも
飛んでゆきます
中央は、中央は、ゲバルトが強いよ

代々木系と全共闘が激しく覇権を争っていた時代、中央大学なかでも中大夜間部のヘルメット部隊はゲバルト戦に長けており、「中大民青がきた!」と聞いただけで、全共闘派は浮足立ったという伝説があるほど強かったという。
私は、共産党系がゲバルトをやめた直後に参加したので、ゲバ棒の扱い方は、こっそり秘伝のようにして教わり、先輩から、様々な「会戦」の武勇伝を聞いたりした。

そんな時代、全学連統一集会では、中大の隊列はトリをとるように、公園入口でジグザグデモをして盛り上げてから公園に入ってきた。委員長「直参」だぞと言わんばかりの迫力で、動員数もどこの大学より多かった。
私が初めて参加した夜の集会で、下からあおられたライトのなか、永戸委員長が登壇した。そのアジ演説に震えるほど感動した覚えがある。まさにカリスマだった。
そこに降ってわいたのが「新日和見主義」批判という共産党内の大粛清事件で、とくに全学連関係の幹部が大量に除名を含む処分を受けた。
永戸さんは粛清に反対しつつも委員長を続けたが、辞めた後、共産党中央の路線を研究するごく内輪の学習会をひらいていた。発覚したら即除名である。
私はこれに参加させてもらったことで永戸さんと親しくなった。永戸さんに直接に薫陶を受けたことは実に得難い経験だったし、非常に大きな影響を受けた。今でも感謝している。
(つづく)