ビルマ民主化運動最大のスキャンダル−ABSDFスパイ事件

takase222013-04-18

先日、伯父さんの葬儀があった。
親戚で東京在住の人は少なく、受験、進学など上京する節目節目に寄せてもらい、大変お世話になった。小学校のころ初めて東京にやってきて伯父さんの家に行くとテーブルに大きな機械があった。いとこが操作して、録音された私の声が機械から聞こえてきたのには驚いた。テープレコーダーなど知らなかったから、東京はすごいなと思ったのを憶えている。
お寺は世田谷区等々力で、近くに等々力渓谷がある。ここは都内唯一の渓谷だそうだ。帰りに回ってみると、若葉が実に鮮やかだった。写真は等々力不動尊の滝の近く。一方では死、一方では萌える新緑。無常がいいのだ。
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1992年2月、私はタイ人の女性記者、マレーシア人のフォトジャーナリストと3人で、ビルマのカチン州に入った。民族自治を求めて中央の軍事政権と闘うKIO(カチン民族機構)のテリトリーに入るため、中国雲南省から陸路密入国した。本拠地のパジャオは国境の山中にあり、KIA(カチン民族軍)とABSDF(全ビルマ学生民主戦線)NB(北ビルマ支部)の部隊がいた。
88年、民主化運動が弾圧され、軍部がクーデターで全権掌握すると、ABSDFの一部に銃をもって闘うしかないと都会を離れ、国境で武装闘争をしていたカチン、カレン、モン、シャンなどの民族の軍部隊に身を寄せる人々も出てきた。
都会では、活動家狩りがすざまじく、探し出されては次々に投獄されていた。集会やデモなどまったく組織できないから、ジャングルに入ろうと思う人がいてもおかしくなかった。
ABSDFは、カレン民族同盟(KNU)の本部マナプローに中央委員会を置き、カチン州にはABSDF(北ビルマ支部)があった。
そこを訪れると、ベレー帽に黒メガネのカッコつけた幹部たちが出てきて、ABSDF(NB)スパイ事件について語りだした。
組織に潜り込んだ80人もの国軍のスパイが摘発され、うち15人はちょうどきのう処刑したと誇らしげにいう。
取材に来ていた私たち三人が驚いて矢継ぎ早に質問をぶつけると、15人の多くは刀で首を切られたこと、処刑されたなかには「議長」つまりトップリーダーもいたこと、尋問には電気ショックなどの拷問も使われたことを認めた。
まだ60人以上のスパイが捕らわれて勾留されているというので、ではぜひ会わせてくれと頼み込むと、5人が引き出されてきた。男性4人、女性1人。ものものしく鎖で縛られ、氷がはる寒さのなか、裸足でいるものもいた。

マイクを向けると「私は軍に送り込まれたスパイだ。スパイはたくさんいる。強要されたものもいれば金に転んだものもいる」と英語で答えた。
四分の一以上がスパイなんて到底考えられないし、黒メガネでかっこつけている幹部たちを見ていると、この事件にはあまりにもおかしな面が多いと感じた。
しかし、ABSDFの取材は2日間だけで、事件の真相を確認することもできず、私は「ザ・スクープ」という番組で、これを政府軍がABSDFの組織に浸透させたスパイを摘発した事件として報道したのだった。
ところがそれから20年もたった去年3月、私は一通のメールをもらった。
「私のいとこは、仲間の手で殺されました」。
「お話を聞かせていただきたい」。
会って話を聞くと、メールの差出人は日本滞在の長いビルマ人で、殺された「いとこ」について調べるうち、処刑翌日に日本人が現地で取材していたことを知って私を探し出したのだった。「いとこ」は前議長のトゥンアウンジョーだった。「スパイ事件」はまったくのでっちあげだという。
20年前、たまたまスパイ処刑に遭遇し、今はこうして前議長のいとこが私を探して訪ねてきた。
私は「運命」を感じた。
(つづく)
テレメンタリー2013」はANN系列局ごとに放送時間帯が違います。テレビ朝日は22日(月)深夜27:10(つまり23日早朝3:10)から。朝日放送は21日(日)朝6:20から。ネットでご確認ください。http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/contents/broadcast/index.html