キャパの出世作を撮った恋人

takase222013-02-28

もう2月も終わり。
月末のきょうは、振込みが集中する緊張の日だ。どうしてもお金が足りず、今月も何人もの人に支払いを延ばしてもらって、何とかぎりぎりで乗り切った。振込みが3月5日にずれ込んだフリーランスのY君ごめんね。
みなさんのご協力に感謝。そして安堵のため息。
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先週末、横浜美術館に「キャパ/タロー二人の写真家」展を観に行った。
沢木耕太郎が、キャパの出世作「崩れ落ちる兵士」の謎を解くNスペを観て、がぜん興味を持ったのだった。あの写真は、そもそも戦闘のシーンではなく、訓練中に足を滑らせて転んだ瞬間で、しかも撮ったのはキャパではなく、恋人のタローだったというのだ。
番組を観る限り、説得力のある結論だと思う。
タローはすぐにスペインで死んでしまった。キャパは、この写真についてほとんど何も語らなかったという。
こんないきさつの写真で20世紀最大の戦場カメラマンとヒーロー扱いされたことが、キャパをして超危険な現場に向かわせることになったと沢木耕太郎は推理する。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/
ノルマンディー上陸作戦では、上陸する兵士を前から撮っている。ほとんど自殺行為のようなポジションだ。
キャパは54年に来日してそのままベトナムに行き、インドシナ戦争を取材中、地雷を踏んで亡くなる。伝説のまま死んでいった。
横浜美術館の展示会の紹介文は以下。
《世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレフリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。
1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたといわれています。
本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます》http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/
横浜美術館には193点ものキャパの写真が所蔵されているということをはじめて知った。抗日戦争中の中国で取材していたのも知らなかった。若き日の周恩来が写っていた。
キャパの写真で一番印象に残るのは、1944年、パリ解放のあと、「シャルトル通りを引き回される対独協力者」。ドイツ人との間にできた子どもをかかえた一人の女が頭を丸刈りにされて、多くの女たちから辱めを受けている。周りを囲む女たちのあざけりの表情がとても醜く、「解放」が決して一筋縄ではないことをみせている。
展示を観る時間は1時間しかなかったが、スペイン人民戦線から第二次世界大戦そしてインドシナ戦争まで、戦争の現代史にひたった。
タローの方が被写体に対して自覚的な迫り方を
していて、キャパより写真はうまいと思った。友人の戦場カメラマンたちの評を聞きたいものだ。