先日、『アイウィットネス〜時代を目撃したカメラマン』という本が届いた。
同封の封筒のなかに入っていたのは、著者の平敷安常(ひらしきやすつね)さんから私宛の手紙だった。
平敷さんはベトナム戦争時、戦場での勇敢さから「カミカゼ・トニー」と呼ばれた米国ABCのムービーカメラマンで、その10年の体験を2009年『キャパになれなかったカメラマン』という本にまとめた。ベトナムを取材した世界各国のジャーナリスト列伝ともなっており、彼らが友情、反目、競争などの人間模様のなか成長していく過程、そして生と死がいつも隣り合わせの日常が人間味あふれるタッチで描かれている。
この本は高い評価を得て、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
70歳を過ぎて、処女作が出版関連の賞を受けるのは極めて稀だが、選者の関川夏央さんは「若い世代に受賞をしてもらいたいという本音はあったが、70歳を過ぎた彼の、実経験に基づいた圧倒的な筆力・文章力には勝てなかった。」と評したという。
一方、撮影関連の受賞歴はないが、これはベトナム戦争時、親友を失った自責の念から、カメラマンに関わる賞・コンクールを拒否しているからだという。(Wikipediaによる)
翌年、平敷さんは『サイゴン ハートブレーク・ホテル〜日本人記者たちのベトナム戦争』を出版。ゆかりの日本人ジャーナリストたちを描いた。一作目と並んで、戦場におけるジャーナリズムのあり方を考える上でも最良の本だと思う。
去年、山本美香さんが亡くなったあと、このブログで、戦場ジャーナリストについて書いたさい、これらの本を何度か引用させてもらった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20120901
これが平敷さんの目に止まり、私にお便りと新著を送ってくださったのだった。
平敷さんとはお会いした事がない。伝説の大先輩から直にお手紙をいただいたことに驚き、また感動した。
「1975年、ベトナム戦争が終わった後、私は日本には戻らず西に旅を続け、ドイツ支局を基地にして、西欧、東欧やソ連(当時)、アフリカや中近東、そしてニューヨーク本社に勤務して、アメリカの出来事をテレビカメラに収録してきました。」(手紙より)
前2作はベトナム戦争について書かれたが、新著『アイウィットネス』には、ベトナム戦争が終わった1975年から、2006年に68歳で現役を退くまでの30年におよぶ世界を股にかけた平敷さんの仕事ぶりが書かれている。
「これは、迷い続けたニュースカメラマンの試行錯誤の記録だとも言えるし、私自身がビューファインダーを通して目撃した現代史のイベントの少しピンボケの記録だともとれる。
(略)
これまでの作を含め、私の回想録は、仲間たちへの賛歌であり、鎮魂歌であり、彼らのポートレイトである。ロバート・キャパや澤田教一や岡村昭彦にはなれなかったが、50年近いカメラマン人生を全うできたのは満足している。来世もニュースカメラマンをやろうかやるまいかは考慮中、まだ答えを出していない」(あとがきより)
興味津々。おいおい紹介していきたい。
しかし、平敷さん、よくこれほど具体的で臨場感あふれる本が書けるものだと感心させられる。そもそも、ムービーカメラマンが本格派ノンフィクションを立て続けに書くということ自体、この世界を多少知っているものとしては驚きである。
一人でカメラを回しレポートもしナレーションも書いて編集もするというビデオジャーナリストという存在は、機材の発達と取材費の低減を背景に90年代に登場したが、平敷さんの時代は、記者、カメラ、音声としっかり分業があった。カメラマンといえば職人肌の人が多く、平敷さんも高卒のたたき上げである。
筆力のもとになっているのは何か、ベトナムを含め40年以上、報道の第一線で磨かれた洞察力なのか、一度平敷さんに聞いてみたい。