還暦だ。急がなくては

takase222013-02-22

今朝出社したら、いま弊社で1ヶ月のインターンシップで働いている女性(オーストラリアの大学の3年生)が「お誕生日おめでとうございます」。
あらら、還暦になってしまった。
子どものころは、自分が30歳になるなど信じられなかった。三十路を超えたころには、還暦などは想像できないはるか遠い日のことだろうと思っていた。『十年日記』を書いているが、今では、十年などあっという間である。時間が加速度的にはやく過ぎていく。
きっと、死の床で「えっ、もう死ぬのか、はやかったなあ」と驚くのだろうな。

写真は、こないだの11日、川崎のレストランで、横田めぐみさんのご両親と有田芳生さんに還暦を祝ってもらったときのもの。給仕のおねえさんに何気なく、今月還暦なんだよと言ったら、なんと赤いちゃんちゃんこと頭巾を持ってきた。じゃあ、記念写真を撮ろうとなった。
(この写真、フェースブックにはすぐに載せたのだが、そのあと、ちょっと恥ずかしくなって、ブログに載せるのはためらっていた。)
ああ、歳をとったものだなあと思っていると、早紀江さんから「バレンタインだから」とチョコをいただいて、一気に気持ちが若返った。
でも、そのまま空港に向かって出張になったから、チョコは私とともに紛争地に行き、帰路、上海でカバンととともに盗まれてしまった。せっかくいただいたのにすみません。
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誕生日のブログの「しめ」は、マルクス・アウレリウス『自省録』第3章1。
《人生は一日一日と費やされ、残りは次第に少なくなる。それだけではない。以下のことも考慮に入れておかなくてはならない。つまり、たとえ寿命が延びたとしても、その人の智力が将来も変わることなく物事の理解に適し、神と人間に関する事柄の知識を探求する洞察に適するかはわからないということだ。なぜなら、呆けはじめると、呼吸、消化、表象、欲求、その他それに類する機能は衰えなくとも、自分自身を使いこなすこと、義務の一つ一つを精確に把握すること、現象を分析すること、もう人生を去るべき時でないかを判断すること、その他こういうよく訓練された思考力が必要なことすべてを処理する能力のほうが先に消滅してしまうからだ。だから、我々は急がなくてはならない。それはただ時々刻々死に近づくからだけではなく、物事への洞察力を対応力が死より前にすでに機能停止してしまうからだ。》岡野守也『ストイックという思想』より)
人生はどんどん時間が過ぎていく。長生きしても呆けてしまうかもしれない。だから生き急ぎなさい、と言っている。
そのとおりだ。
時間を無駄にしないで、一瞬一瞬をしっかり生きよう。

なお、「人生を去るべき時でないかを判断すること」とあるのは、ストア派哲学ではどのように死ぬか、死をどう受け止めるかが非常に重視され、その上で自殺を否定しない。自分はもう使命を果たしたとみなしたときには、選択肢になる。
自殺については、また改めて書こう。