生き急ぎのすすめ

takase222013-12-31

ロシアで爆弾テロが連続している。
ダゲスタン出身者の犯行が疑われている。
一方、中国の新疆ウイグル自治区では、武装集団が警察署を襲撃する事件が起きた。

テロという言葉で表現されると、とんでもないならず者集団を思い浮かべるしまいそうになるが、深刻な民族抑圧が背景にある。
私は、前者については、ポリトコフスカヤの『チェチェンやめられない戦争』、常岡浩介『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』、後者については、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』などを読んで、これでは暴動や暴力事件に発展しても不思議ではないと思った。
一方で、こういう場合、「ひどい政府」とその国民はしっかり区別して考えたい。そうでないと、金正恩体制がひどいからと北朝鮮住民への軽蔑や、在日朝鮮人へのヘイトスピーチにつながりかねない。最近、拉致問題で話をするときには、必ずヘイトスピーチに触れるようにしている。
このところ、怪しいナショナリズムの盛り上がり方に危惧を覚えるので、周辺国のニュースをその角度から見てしまうことが多い。(ただし、「愛国心」は子どもたちにしっかり教える必要があると考えており、それについては、いずれ書きたい)
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晦日。ニコライ聖堂が神々しい。

時の経つのが速いと文句を言いそうになる自分に、アウレリウスの言葉でカツを入れよう。

人生は一日一日と費され、残りは次第に少なくなる。それだけではない、以下のことも考慮に入れておかなくてはならない。つまり、たとえ寿命が延びたとしても、その人の智力が将来も変ることなく物事の理解に適し、神と人間に関する事柄の知識を探求する洞察に適するかどうかはわからないということだ。なぜなら、呆けはじめると、呼吸、消化、表象、欲求、その他それに類する機能は衰えなくても、自分自身を使いこなすこと、義務の一つ一つを精確に把握すること、現象を分析すること、もう人生を去るべき時ではないかを判断すること、その他こういうよく訓練された思考力が必要なことすべてを処理する能力のほうが先に消滅してしまうからだ。だから、我々は急がなくてはならない。それはただ時々刻々死に近づくからだけではなく、物事への洞察力や対応力が死より前にすでに機能停止してしまうからだ。(自省録3・1)

まるで一万年も生きられるかのように振舞うな。避けられないものが君の上にかかっている。生きているうち、許されている間に、善い人間になれ。(4・17)

どんなに自分にとって不幸な事態がやってきても素直に受け入れ、幸不幸の物差しを越えて爽やかに生きる。生きられるときは生き、死ぬべき時には死ぬ。
日々、自分を鍛えて、こういうふうに生きたいものだ。
持ち時間はどんどん減っていくから、来年はさらに生き急がなくては。

よいお年をお迎えください。