石巻で「復興」に代わる言葉は?3

takase222012-03-16

震災一年の日、新聞の一面は、「鎮魂の鐘と祈り、あの日に捧ぐ―忘れない3・11」との大見出しで、武内報道部長のコラムが載った。

一面の写真は、外処(とどころ)記者が撮った普誓寺の鐘。
鐘は明治時代から本堂付近に掲げられていたが、震災で流失し、1か月ほど経ったころ本堂から西に300メートル離れたガレキの中で檀家が見つけたという。11日には、震災犠牲者・不明者の人数と同じ1万9184回の鐘を突き犠牲者を弔う「鎮魂の鐘の音」が行われた。2秒に1回ついて朝5時から12時間かかるという。

武内はこう書いた。

東日本大震災から、あす11日で1年になる。心の時計があの日から止まったままの人、やっと自分の足で立つことができるようになった人、重い足取りながらも歩み始めている人…。石巻地方には今もさまざまな思いが渦巻いている。
              
 震災後、被災した人たちは励ましの言葉とともに、全国各地から支援を受けて生活の日々を重ねてきた。だが、多くの仲間の命を奪い、家や仕事を奪い去った震災の記憶は、1年の月日で薄れることはない。失ったものを取り戻すために現実と向かい合わなければならない中で、今は「がんばれ」「復興」の言葉は、むしろ心に重くのしかかる。
               
 平成23年3月11日午後2時46分に発生した大きな地震からすべては始まった。そして襲いかかってきた巨大津波石巻市東松島市、女川町で計約6千人(行方不明者を含む)が犠牲となった。この日自分の人生にピリオドが打たれるとは誰ひとり思っていなかったはずだ。そう思う時、残された者はいたたまれない気持ちになる。
                
 石巻市中浦の普誓寺では、11日早朝から鎮魂の鐘の音を響かせる。ボランティアチームが、震災の行方不明者を含む全犠牲者の人数にあたる1万9184回鐘を突く。この鐘の音が死者の霊を慰めるとともに、遺族を、そして被災した市民を安穏(あんのん)の日々に導いてくれることを祈る。》

「がんばれ」「復興」ではなく「安穏の日日」。
あの洋菓子屋の店員さんの「いつもどおりにやるっていうのが一番前向きな姿勢なんじゃないですか」という言葉を思い出していた。いつもどおりに、たんたんと、安穏に。

情熱大陸」の放送が終わって0時過ぎ、ちょっと遅いかなと思いつつ、武内報道部長に電話した。どうでしたか、と番組の感想を聞くと、
「新聞社が紹介されたことより、番組のなかで、地域の声が伝えられたことに感謝しています」とのことだった。こちらこそ、みなさんの声を伝えられて光栄です。
さあ、次は、甲子園出場に出場する石巻工業高校に注目しよう。