従軍取材は軍の広報か

きょうの朝日歌壇は松田妹が入選。 
風船のようにふくらむ図書館のカーテンの中風と二人きり                松田わこ(高野選)
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 戦場とか危険地の取材については、あまりにも誤解が多い。
 世界各地で紛争処理、武装解除などにあたった伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授)は、8月26日のツイッターにこんなことを書いている。
 《ビックリした。日本の「戦争ジャーナリスト」、それもフリーのそれが、イラク米軍Enbed従軍取材経験をプロフィールにデカデカと載せているのがいる。取材する側が逆だ。従軍取材協力は、軍の広報の一貫であり、ジャーナリスト個人が自慢するようなものではない》
あれ?伊勢崎氏にしてこんなことを言うのかと驚いた。これでは、従軍取材イコール「軍の広報」だからやるな、と言っているに等しい。
ベトナム戦争では、取材といえばもっぱらアメリカ軍への従軍取材だった。

 だが、米兵が農村で家々を焼き払うシーンや、兵士の士気が衰えているさまなど、戦場の実態がアメリカ本土に送られることは、反戦ムードを高める結果となった。
 実際、本国アメリカで、必ずしも戦意高揚の記事や写真が評価されたわけではない。
 前回紹介した沢田教一の「自由への逃避」(1965)は、戦火の中逃げ惑うベトナム人一家の悲惨を表現している。
 また、1968年にはUPIの沢田の後輩、酒井淑夫が「より良きころの夢」(Dreams of Better Times)でピュリッツアー賞を受賞した。雨にぬれながら仮眠をとる兵士と見張りの兵士。心に染み入るいい写真だが、これも軍のPRにはなっていない。
 結局、国内世論の圧力でアメリカは戦争を継続できなくなった。「ジャーナリストのせいでアメリカは負けた」と言われた戦争だった。
 これを教訓として、米政府はその後のグレナダ侵攻、パナマ侵攻、湾岸戦争そしてアフガン、イラクの戦争では厳しいメディア規制を行ったのだった。
 ともかく、どちら側から取材しても、ジャーナリストの狙いがしっかりしていれば、報道内容が簡単に軍のPRになることはない。
 敵側から取材するものも現れた。岡村昭彦は「ベトコン」(解放戦線)支配地に潜入、長期取材することに成功した。どちら側からでもチャンスがあれば取材すればよいのである。
 シリアで今、多くのジャーナリストが反政府勢力のから取材するのは、政府軍の従軍が認められないからだ。政府軍の従軍取材が「広報」になるからではない。
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 いま従軍取材といえば、カメラマンの横田徹の名が挙がる。アフガンで10回以上米軍に従軍している。彼の従軍取材は素晴らしい。
 迫力ある戦闘シーンのあと、米軍が宣撫工作のため村に入っていく。その村には以前も来て、食糧や毛布などを配っていた。ところがその後タリバンがやってきて、米軍のプレゼントを焼いてしまっていた。
 これを知った米兵が村の長老にこういう。「アメリカは空も陸も制圧している。タリバンより強い。どっちを選ぶんだ」。横柄な態度で長老を脅している。村人たちは黙ったまま、米兵をにらんでいる。
 観る人に「米軍は絶対に勝てない」と確信させる映像である。こういうシーンが撮影できたのもしっかりした従軍取材の賜物なのである。
(つづく)