泣き虫だった地井武男さん

takase222012-07-03

俳優の地井武男さんが亡くなった。
彼には思い出がある。2001年、日本テレビきょうの出来事」で「ある交通事故遺族の記録」(9月6日放送)という特集を制作したときのことだ。
番組内容を弊社のHPでみると;
「4年前のこと。登校途中、横断歩道を自転車で渡っていた17歳の宇田川浩史君は、走ってきた車のボンネットの上で生涯を閉じた。動転した両親が事故の詳しい情報を問い合わせると、警察は「加害者の人権があるので言えない」という。宇田川夫妻は、裁判を起こし、息子の死の真相を調べ始めた。息子をはねた車の当日のルートを辿る。調査は苦しみの連続だ。息子の部屋は今もそのまま。夫妻にとって、事故はいまだ終わっていない。日本の交通事故死亡者は、年間9000人を超える。新聞の小さな見出しにしかならない一件の交通事故死のウラに、いつまでも残り続ける遺族の思いを描く」http://www.jin-net.co.jp/housou2001.htm
このナレーターを地井さんにお願いした。
私はプロデューサーで、ナレーション録りに立ち会った。
地井さんはスタジオに来て、私たちと挨拶したあと、ナレーター用の防音壁に囲まれた狭いブースに入った。一度試しで読んでもらい、それでよければ本番として録音していく。地井さんが試し読みを始めた。私たちスタッフはマイクを通して聞こえてくる声を聞いてチェックしていく。ところが、途中、読む声が聞こえなくなった。
あれ、マイクが故障したのかな、それとも読めない漢字でもあってつまづいているのかな。
ブースの窓を覗くと、地井さん、目をぬぐっているではないか。「ごめん、あんまり可哀想で・・」。涙で声を詰まらせていたのだった。
本番でもしばしば涙で中断。心配になって、ディレクターと「大丈夫かな」「最後まで読み通せるかな」とささやきあった。
なんとかナレーションが録りが終って、地井さんは泣きはらした顔で、「ごめんよ」とブースから出てきた。
プロのナレーターとしては欠点なのだろうが、「こういうの、可哀想でたまんないんだよね」と言う地井さんの人柄にスタッフはみな感動してファンになってしまった。
数年経って、大きな特番のナレーターを地井さんにお願いしようとスタッフが事務所にコンタクトしたことがある。しかし、その時には地井さんはあまりに「ビッグ」になっていて、目が飛び出るようなギャラを提示され、残念ながらあきらめた。
テレビで地井さんが出てくるたび、「ごめんよ」とブースで泣いていた姿を思い出す。