34年前の1985年8月12日、JAL123便が墜落し520人が犠牲になった。これは今なお、日本の航空史上最悪の事故であり、単独機で世界最悪の死者数を出した航空事故でありつづけている。
群馬県上野村で毎年行なわれる11日の灯籠流しと12日の慰霊登山と式典に参加してきた。12日は昨年よりも1家族少なく8人多い78家族274人の遺族らが御巣鷹山を訪れたという。https://www.aviationwire.jp/archives/180952
この事故原因は当時の運輸省航空事故調査委員会が発表した「圧力隔壁破壊説」とされているが、実はこれについて疑問を呈する遺族やジャーナリスト、専門家が少なくない。JAL123便事故についてはたくさんの本や記事が書かれ、私もいくつか読んでみたが、事故原因をめぐる疑惑には相当の説得力がある。
私たちがかつて北朝鮮による拉致について取材しはじめたころ、世間の大勢は「まさか」という受け止め方だった。一応国連にも加盟している国が、工作船などというものを仕立てて他国の海岸にやってきて人をさらっていくなんて、安っぽいスパイ映画の世界だと笑う人もいた。「拉致疑惑」と呼ばれ、陰謀論に近い扱いを受けたことを思い出す。JAL123便墜落の真相が解明されることを期待する。
友人の水島朝穂早大教授は、JAL123便墜落を事故ではなく事件と呼んでいるが、先月16日、彼が世話人となって「情報公開と知る権利―今こそ日航123便の公文書を問う」というシンポジウムが開かれた。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0722.html
墜落から34年たったいま、遺族が国土交通省の外局、運輸安全委員会が保有する文書の開示請求を求める訴えを起こすなど、動きが出ている。国は重要な証拠を大量に廃棄したとし、ボイスレコーダーさえ「ない」と言い、残っている調査資料の開示を拒否しているが、これを追及していこうというのだ。モリカケの問題でも分かるように、日本は情報の保全、公開がきわめて不十分で、隠蔽や改ざんまでする。日航機事故に関連した情報公開は健全な民主主義をめざす闘いでもあるというのがシンポジウムの結論だった。
シンポジウムでは2遺族が情報公開を訴えた。
《事故で夫を亡くした吉備素子さん(大阪府)と、婚約者が犠牲になったスーザン・ベイリー・湯川さん(英国)の2遺族が登壇。吉備さんは「情報が隠され、遺族が不満に思っていることを知ってほしい。このままでは34年たっても前に進めない」。ベイリー・湯川さんは「情報がなぜ公開されないのか理解できない。再調査に向けて国際的なキャンペーンを展開したい」と強調した。》(上毛新聞)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/146359
シンポジウムに参加した英国人遺族スザンヌ(スーザン)・ベイリー・湯川さんが御巣鷹山に慰霊に行きたいが付き添いがいないというのを聞いて、私が通訳兼ガイドを買って出たのだった。
例年の御巣鷹山の事故追悼の報道は、安全への願い、悲しみをあらたに、といった情緒的なものが多いなか、スザンヌさんを取材した上毛新聞の記事では彼女の言葉を以下のように紹介している。
《「事故から30年以上が過ぎ、新たな情報が明らかになるのではないか」。長い年月が経過し、これまで難しかった事故調査資料の公開や原因の再検証に期待を寄せる。
墜落直前の様子が収められたレコーダー類、運輸省航空事故調査委員会(当時)がマイクロフィルムに保存している事故調査資料の情報公開と合わせ、相模湾に沈んだままになっている機体の一部の引き上げと検証が必要だと考えている。
単独の航空機事故としては世界最悪の520人が犠牲になった。「情報を共有し、教訓を後世に伝えることは国際社会においても重要。風化を防ぐことにもつながる」とする。》
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/151366
また、海外向けの調査報道メディアにスザンヌさんが投稿し、世界に向けて再検証を訴える決意を披露している。今後こうした遺族らの動きがどこまで広がるか注目したい。