番組制作はチームワーク

 きょうはNNNドキュメントのナレーション録り。


 終ってから、ナレーターの小山茉美さん、松本光生さんと一緒にディレクターの大小田直貴と記念撮影。ナレーター二人の声の交錯する読みは味わい深くすばらしい出来になったと思う。お楽しみに。
 小山茉美さんは今は報道ステーションなど報道系の番組のナレーションを担当しているが、もとはDr.スランプのアラレちゃんの声優として知られる存在だった。1986年にDr.スランプが終わると、バックパッカーになって一年かけて世界一周の旅に。そこで自分がいかにモノを知らないかを思い知らされ、報道の仕事に関心を持つようになったという。
 松本光生さんは演劇ユニット「ハツビロコウ」を率いる俳優だ。一昨年のNNNドキュメントの写真家、小松由佳さんのシリア難民取材を描いた「サーメル 子連れ写真家とシリア難民」のナレーションをお願いした。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170919
 そのご縁で、去年ハツビロコウの演劇を2回観に行った。戦後日本の混迷を描いた「廃墟」、そして安重根伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動の英雄)が登場する「寒花」。松本さんは重厚で深いテーマの演劇に挑戦している。
 音効(音響効果)はドキュメンタリーでは定評のある番匠祐司さん。一緒に作品を手掛けるのは久しぶりで、番匠さんが「たぶん、ザ・スクープ以来ですね」というから20年ぶりに近いだろう。念入りな準備で、さすがの仕事ぶりを見せてくれた。また、お世話になるミキサーの原田雅代さんの職人芸にはいつも感心させられる。
  テレビ番組は集団作業、チームワークで作られるということをあらためて思い知らされる。
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 『風の旅人』編集長の佐伯剛さんが、ブログ『風の旅人〜放浪のすすめ〜』に「人権派ジャーナリスト広河隆一氏の性的暴行について」を書いている。
https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2018/12/30/002225
 佐伯さんは、20歳の時、大学を辞めて海外放浪をする前、広河氏の「パレスチナ」という新書本を読んで、放浪中にアラビア語を学んで、アラブ諸国をまわろうと決め、チュニジアに通ったという。佐伯さんにとって広河隆一氏は尊敬と敬愛の対象だった。広河氏の『Days Japan』立ち上げには佐伯さんが主に尽力し、運営に便宜を図った。だがその後、「権力」を手にした広河氏から恩を仇で返すような仕打ちを受け、世の権力者と同じ振る舞いをするようになった氏から離れていった。今回の事件を起こした広河氏に対しては「詐欺師」と呼びきわめて厳しい。
 「自分がやってしまった取り返しのつかないことを心から反省し、いっさいの虚栄を捨て、懺悔のためにだけ生きることも、人間には可能だろう。」「残念ながら、広河氏の人権に対する想像力や思考力は鈍麻してしまっていた。謝罪文で彼が使っている”不実”(愛情や誠意のなさ)という言葉にも、人権や、このたびの女性の被害に対する彼の麻痺感覚が現れている。彼の行ったことは、誠意の問題ではなく、今後の展開によっては刑務所行きの可能性もある暴力的な犯罪である。真面目な人が正しさの砦だと信じて逃げこんだ場所は、実際には、権力者の横暴によって人権を踏みにじる場所だった。広河氏は、そういうことを行っていた。その恐ろしい現実認識から始めて、罪の償いをしていくしか道は残っていない。」 
 正しさにつきまとう危険について、佐伯さんはこう語る。
 「人権は、声高く叫んで主張するスローガンではなく、これが善でこれが悪だと言葉で簡単にくくれるものではなく、心の琴線ではかるものだ。」「やっていることが正義かどうかで判断するよりも、物事や人に対する向き合い方や取り組み方が、どれだけ丁寧に行われているかを判断することの方が、大事かもしれない。」 

 また、写真家の山本宗補さんは、FBで「広河隆一氏の性暴力問題についての個人的見解」という長文のコメントを載せた。広河隆一氏が発起人のJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)で活動をともにし、『Days Japan』にも積極的に関与したが、途中から氏に批判的になっていったという。
https://www.facebook.com/munesuke.yamamoto/posts/2311285742215020
山本さんは広河氏の「すごさ」をこう言う。
 「今回の報道がなければ、いずれはその名を関した写真賞が創設されることは間違いないほどの実績と知名度と影響力を持つのが広河氏だ。40冊を下らない著書。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、土門拳賞、日本写真家協会賞年度賞などジャーナリズムと写真関係の賞を総なめにもしている。個人的には、「写真記録 チェルノブイリ消えた458の村」の、放射能汚染により住民が二度と住むことが不可能となり、土砂で埋められる村々のスティール写真は鳥肌が立つほどに凄まじかった。」
 そして氏の「潔い責任の取り方」で業績は評価され続けるのではないかと書く。
 「写真は一度発表されると、撮影者の意図とは裏腹に一人歩きする。すでに評価が定着した広河氏の作品、著作、映画などを全否定する動きが今後あるかもしれない。しかし、10年、20年の長いスパンで見れば、性暴力被害者の女性たちの心情とは切り離された形で、訴求力があり忘れがたい作品は残るのではないか。それは広河氏の潔い責任の取り方次第でもあるといえる。」

 広河氏との各人の関係性、関与の度合いなどによって衝撃度も、今後の氏への評価も異なってくる。広河氏の罪が短い謝罪文で済まされるわけもなく、問題はこれからだ。