先週、NHKスペシャルで「未解決事件―オウム真理教17年目の真実」をやっていた。
元幹部への取材、麻原の肉声テープ数百本の発掘、多くの捜査関係者へのインタビューなどさすがNHKと感心させられる分厚い取材で、社会を覆すために早くからサリン製造に着手していたこと、また警察がこれを察知していたことなど新たな事実を提示していた。
ただ、「なぜ、こんな教祖のとんでもない教義にたくさんの弟子が付いていったのか」という肝心な疑問は、そのままに残った。麻原が気に入らない人を「ポア」すると言えば、弟子が殺人を実行する。これが暴力団の「鉄砲玉」とどう違うのか。
一般向けのテレビ放送なので、宗教面からの分析がほとんどないのは無理もないが、見終わった多くの視聴者は、「宗教って怖いな」、「宗教を信じるなんてバカだな」、という感想で終わったのではないだろうか。
まともな宗教は、善意と愛を唱えているはずで、自殺も他殺もやってはいけないに決まっていると常識的には思われているだろう。実は、常識とは相容れない、奥深い面も宗教(大乗仏教)にはある。それをわきまえていれば、麻原の教説などに騙されないだろう。
ただ、誤解されると困ると思って、書くのをためらっていたら、菊池直子の逮捕で、オウム事件がまた大々的にニュースになっている。
こういうタイミングでないと書けない話なので、仏教に詳しい人は知っているかもしれないが、紹介しようと思う。
大乗仏教の代表的な論書に『摂大乗論』(しょうだいじょうろん)がある。
論書とは、お経ではなく、理論的な解説書だ。「摂」とは大きくまとめるという意味で、大乗仏教総論とでもいうべき本である。ここに、殺人をしてもいいのだと書いてある。
「深さの違いとは、菩薩は時にこうした方便の勝れた智慧によって、殺害などの十の事を行っても、汚染された過失はなく、量りしれない福徳を生じ、速やかにこの上ない覚りという勝れた結果を得ることである」(「依戒学勝相」(戒律による学の勝れた相))
(『摂大乗論 現代語訳』岡野・羽矢訳 コスモス・ライブラリー P148)
人を殺すことがすばらしいことだというのである。
まさか。私も十数年前、初めてこれを読んだとき驚いた。
どうして、こんなぶっそうなことが書かれているのか。
(注)なお、オウム真理教はチベット密教、ヴァジラヤーナ(金剛乗)を中心教義にしているとされるが、金剛乗は大乗仏教をベースにしている。