「禁断 二・二六事件」の問題意識2

鬼頭春樹『禁断 二・二六事件』のあとがきにはこうある。
「この物語は徹頭徹尾、だれにも公開された情報で成立している。独自にスクープした史料はほとんどない。自慢できるとすれば、無数の断片をピンセットで丁寧に拾い上げて、根気よく独自の新しい物語を紡ごうとした点であろうか。」
そして、ノンフィクションには、とくに証言者のいない昔のことを取り上げる場合には、想像力が必要とされると吉村昭に言及している。
吉村昭は、昭和42年に『戦艦武蔵』を初の戦史小説として描く。多くの戦史を手掛けた後、8年後、蘭学者前野良沢を主人公にした初の歴史小説『冬の鷹』に挑戦する。第一次証言者がいる近過去の第二次大戦と、遠過去の江戸時代。その違いを吉村はこう書いている。
歴史小説の記録は、あたかも庭の飛び石のように点々と並んでいて、石と石との間の空間―記録のない部分を想像で埋める以外にない。・・その作業に戦史小説では味わえぬ自由な喜びをおぼえたのである」。
去年の震災後、吉村昭の『三陸海岸津波』、『関東大震災』を続けて読んで、津波地震についての私のイメージが大きく変わった。いずれも吉村が自分の足で地元を丁寧に取材しており資料的にも価値がある。
関川夏央さんが雑誌か何かで、吉村昭の作品では『冬の鷹』が面白いと書いていた。関川さんは、私の『拉致』(講談社文庫)の「解説」を書いていただいたご縁もあり、尊敬する作家でもあるので、すぐ読まなくちゃと、本屋に行って求めた。上の二冊や戦史ものとは全然違うタッチの作品で、ちょっと戸惑った。その理由が先の吉村自身の説明で分かった。
高校同期の作家、飯嶋和一君は、膨大な資料を使い、現地に何度も足を運んで重厚な歴史小説を書いていて感心させられるが、こうなると、ノンフィクションとフィクションの境目は微妙である。
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鬼頭さんに、二・二六事件を取り上げる意味は何ですか、と聞いたことがある。
天皇がなぜ軍部の開戦方針を止められなかったかを考えるとき、この事件が天皇に与えたトラウマが重要だと思うから、というのが答えだった。
奏上作戦(本では「S作戦」と名づけられている)は失敗したものの、「叛乱軍」は宮城の中に入り、もう少しで天皇が維新を迫られ押し込められるところだったのだから、その恐怖は尋常なものではなかった。
五・一五事件では叛乱将校らが軽い処罰で済んだのに対して、二・二六事件では中心メンバーがみな極刑に処せられたことには天皇の意向も働いたとされる。
その天皇のトラウマは、軍部が圧力をかけるのに好都合だったから、最大限に利用された。その結果、天皇は軍部に抵抗することができなくなったというのだ。
なるほど。天皇は戦争を終わらせることができたのに、なぜ開戦はとめられなかったのかというのは、今でも戦争をめぐる大きな論点である。
ペダンチックな興味で歴史をほじくるのではなく、鋭く大きなスケールの問題意識を持ちたいものである。これは私たちの取材にも言えることだな、と思う。ノンフィクションの「作法」から学ぶことは多い。