政治の話は「イタイ」?

takase222014-04-19

ここそこにハナニラの白い花が咲いている。
玄関先によく植えられているし、ビルの前の歩道との境などでもよく見る。街場の春を告げる名脇役といった感じだ。
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学生時代にうちの仕事をバイトで手伝ってくれたU君の就職祝いで一席設けた。
この4月から通信社で働き始めている。将来は政治・外交問題を扱いたいという。酒が入るほどに、その場にいた5人が、これからの日本はどういう方向に進むべきか、報道はいかにあるべきか、熱く議論した。
U君は、同年代の友達とこんな話をしたら、「痛い」と言われるという。「カタカナの『イタイ』です」。
ネットで調べたら、「痛い」(イタイ)とは、《他人の的外れな言動に対する「恥ずかしい」「情けない」「気の毒に」などの気持ち》だという。
その深夜、メールで「ごちそうさまでした」とお礼が届いたが、そこには「社内政治みたいなものがないところで、今日みたいに報道の話を」できたのはありがたいことだと書いてあった。
真面目な話をするとすぐに敬遠されるのは、今の若者の風潮だとは知っていたが、政治の議論一つしないで、記者になっていくのが常態化しているとなると心配になる。今から勉強して立派な記者になってほしい。
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前回の続き。
三浦小太郎「『永遠の0』と第二次安倍政権」から。
《ごく普通の生活者ならば、そこが戦場であれまた現在のようなかりそめの平和の中であれ、自分の日々の仕事の意義や社会的役割などをいちいち語ることも考えることもない。ただ一定の職業論理のもと、時には仕事達成の喜びを、多くは先の見えない業務をただ黙々とこなすことに充実感と倦怠の両方を覚えつつ時を過ごしてゆくのみである。「永遠の0」は、このようなセリフによって、戦争中の兵士の意識を限りなく現在の私達の日常意識に結び付けることに成功し、ただ生きるという行為に於いては戦場にも日常があることを、本書全体でいくつもの人間味あふれるエピソードで紹介している。
そして、いつの時代であれ、このような無言の生活者が、世界をどこか根柢のところで支えていることに決して気づかす、時と共に移ろいゆくイデオロギーや政治体制が世界を導いていくのだと錯覚する自称知識人や言論人は、ある時は国家権力のお先棒を担ぎ、又あるときは「反権力」という権力意識に捕らわれて民衆を指導しているつもりで最悪の扇動者となる。「永遠の0」で、やや戯画化された形で描かれているジャーナリストは、このような知識人の典型的な姿である。彼が「特攻隊は自爆テロと同じ、洗脳を受けた狂信的な集団だった」と決めつけ、元兵士たちを激怒させるシーンが本作のクライマックスの一つなのだが、そこで元特攻要員であり、現在は大企業の経営者となっている老人の言葉に、著者の歴史観、特攻隊観はほぼ描かれている。
(中略)「彼ら(特攻隊員)は英雄でもなければ狂人でもない。逃れることのできない死を如何に受け入れ、その短い死を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ。」
「我々の中には天皇陛下のために命を捧げたいと思っているものなど一人もいなかった。戦後、文化人やインテリの多くが、戦前の日本人の多くが天皇を神様だと信じていたと書いた。馬鹿げた論だ。そんな人間は誰もいない。(中略)戦前、新聞は大本営発表をそのまま流し、毎日、戦意高揚記事を書きまくった。戦後、日本をアメリカのGHQが支配すると、今度はGHQの命じるままに、民主主義万歳の記事を書きまくり、戦前の日本が如何に愚かな国であったかを書きまくった。まるで国民全部が無知蒙昧だったという書き方だった。自分こそが正義と信じ、民衆を見下す態度は吐き気がする。」
この元兵士は、戦争に国民を導いたのは軍部の専横以上に、日露戦争講和時の講和反対報道に始まるジャーナリズム、特に新聞社の好戦的で非理性的な好戦報道によるところが大きいと語り、5・15事件や2・26事件等の昭和維新運動を、リベラルで軍縮や国際協調を目指していた開明的な政治家への暗殺事件、それこそ「狂信的な運動」とみなし、いわゆる昭和維新運動と言われる青年将校の行動を殆ど全否定している。
戦中の軍部指導を批判し、特攻隊を非人間的な作戦と否定、大東亜戦争肯定論も皇室への激しい信仰も注意深く避けられているこの小説は、右派・好戦的小説どころか、基本的には戦後的価値観の主をなす平和主義と中道リベラル歴史観を踏まえた上で、過剰な他国への贖罪意識を取り除きイデオロギーで歴史を論じることを退けた、ある意味もっとも戦後らしい反戦・反軍小説というべきである。これに国民が熱狂しているのは決して戦前回帰ではない。むしろ繰り返すが、庶民・生活者レベルのナショナリズムの復興と、左右のイデオロギー双方への拒絶感の表れなのだ。》

ここに「庶民・生活者レベルのナショナリズムの復興」という興味深い表現が見られる。
私も「健全な愛国心」は人間のアイデンティティ確立に不可欠だと考えているが、共通すするものがあるのか。機会があれば聞いてみたい