ついに金正日が死んだ

takase222011-12-19

正午、オフィスで、ある人と電話で話していた。
すると、音量を抑えてつけっぱなしにしているテレビに、「金正日総書記死亡」のテロップが。
「ごめん!金正日が死んだらしい、あとで」。と電話を切ってテレビに見入った。
北朝鮮にかかわりはじめたのが1996年、東南アジアで広まっていた北朝鮮製偽ドル札「スーパーK」の取材からだった。
日本人など外国人拉致、核・ミサイル開発、覚醒剤密輸そして国内での人権弾圧、飢餓、難民の流出を知り、あの体制で苦しむ人々の話を聞くなかで、さまざまな「問題」を引き起こしてきた金正日という存在の「消滅」を願うようになった。
これらの問題は、個別に「解決」することには大きな限界があり、「民主化」(体制の崩壊)によって解決するしかないと考えた。そして金正日の「消滅」がそれを促進するはずだと。
「死亡」のニュースを観ながら、15年間待ち望んでいたのに、あっけないものだなと感じた。
そこに別の電話がかかってきて、1時からテレビでコメントしろという。タクシーでBS朝日のスタジオにぎりぎりに飛び込む。
そのあと、緊急編成で4時からスタートするテレ朝の夕方ニュース「Jチャンネル」にも出て、準備のないままコメントした。辺真一氏、小此木教授、伊豆見教授という大御所のなかで私だけ浮いていたが。
いわゆる専門家の方々の意見には、教えられることもあるが、多くの場合、いまの北朝鮮の大きな「枠組み」を前提にして予測している。
地域専門家というものは、自分が知るその国のありようがそのまま続いてほしいと無意識に望むようだ。ポルポト政権下で民衆が大量に殺されているという情報が出てきたとき、「カンボジア人がそんなことをするなんて、ありえない」と否定に回ったのが、長くカンボジアに滞在していたりこの地域を専門に研究していた人たちだった。
私は、金正日の死亡は、単なる指導者の交代、あるいは日本人のイメージする政権交代のレベルにはおさまらず、体制自体の崩壊か大きな変更につながっていくと思う。
また、我々の努力で体制崩壊民主化)につなげなくてならない。
朴斗鎮氏など少数の例外はあるが、専門家の先生方の多くには、この地域をどうすべきだという「主体性」が感じられない。
私も、北朝鮮はすぐには変わらないだろうと思う。当分はジョンウン体制の整備と密室での暗闘が続くだろう。
金正日は、下から情報を上げさせてすべてを一人で決めるというスタイルだったが、権力を掌握できていないジョンウンがこれを踏襲することは不可能で、ドラスチックな政策変更はないだろう。
だが、この「安定」状態は長くは続かないだろう。これについてはあらためて書こう。
最後に、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」会長の三浦小太郎さんのコメントを紹介しよう。拉致問題の解決を願う私もこの感想に共感する。
金正日の死についてはただ一言。国民を収容所や飢餓で死に至らしめ、他国民の拉致を指令した罪を償うことをさせられなかったのは私たち運動の側のふがいなさでした。北朝鮮金正日に殺されたすべての人々に対し哀悼の意を表明するとともに、独裁政権のもとで人々が殺されていくのを止められなかったことをお詫びいたします。》
哀悼の意は、虐げられてきた人民にこそ捧げられるべきである。