飯舘村長の日本改革論2

takase222011-11-07

きのう、ある雑誌の記者から取材の電話が入った。
いまニュースになっている横田めぐみさんの消息について聞かれるのかと思ったら、馬渕さんのことだった。

もう遅くなったが、先週の朝日歌壇には、梨子・わこ姉妹がそろって入選していた。

妹が笑った顔で眠ってる笑った顔のクマ抱きしめて       松田梨子
登校班ハイソックスをぎゅっと上げななめの風に吹かれて進む  松田わこ

別の入選歌が目にとまったのは、馬渕さんの死を知ったからか。
黒人のさびた声する基地の街祭太鼓の遠き夕暮      (三沢市)遠藤知夫

三沢市は、ベトナム戦争の「安全への逃避」という写真で、ピュリッツアー賞に輝いた写真家、沢田教一の故郷だ。
黒人の声を「さびた」と表現しているのが面白い。ところで、これは声帯や喉の構造という肉体的なものか、後天的、文化的な発声のやり方のせいか。
沢田教一は、今の人は知らないと思うが、ベトナム戦争当時、日本を代表する戦場カメラマンだった。
《1955年:早稲田大学の受験に二度失敗。大学進学を諦め帰郷。青森市の小島写真店にアルバイトとして就職。間もなく三沢基地内の分店に移る。働きながら写真技術を習得するとともに写真家で店主の 小島一郎 の影響を受ける。この時世話になった職場の先輩がのちの妻サタ(11歳年上)である》(wikipedia

きょうの朝日歌壇には、お姉さんだけが入選。
キラキラとはしゃぐ青空説得し土曜特別授業へ急ぐ        松田梨子


さて、きのうの続き。
飯舘村菅野典雄村長は、大量消費のなかで、日本社会の人と人の関係が殺伐としたものになっていることを指摘し、これを転換すべきだと主張する。
菅野さんは、講演の冒頭、3年前、青森県で母親が小学4年の一人息子を絞め殺した事件を取り上げた。
その息子は、小学2年のとき、ある詩を書いて表彰されたという。
そのタイトルが「おかあさん」だった。それを菅野さんは朗読した。

「おかあさん」
 青森県八戸市立美保野小学校2年
       西山 拓海
おかあさんは
どこでもふわふわ
ほっぺは ぷにょぷにょ
ふくらはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぽよん
うでは もちもち
おなかは 小人さん
トランポリンをしたら
とおくへとんでいくくらい
はずんでいる
おかあさんは
とってもやわらかい
ぼくがさわったら
あたたかい 気もちいい
ベッドになってくれる

素晴らしい詩だ。実に文才豊かな子だと感心する。そして、詩には、おかあさんへの愛情があふれている。
この子が、その「やわらかい」お母さんに手をかけられて死んだということを思うと、何ともいえない気持ちになる。
「世直しをしなければ」と思うのは、こういう事柄を知らされたときだ。