どこを歩いてもセイタカアワダチソウの黄色い花を見る。
近年は背丈が低くなったとか、ススキに押されてひところの勢いはないというが、近くの空き地では見上げるような高さに繁茂している。
昔ファンだった八神純子の「せいたかあわだち草」という歌を思いだす。
伸びやかな高音がすばらしい。http://www.youtube.com/watch?v=Ol33e1rRqP8
しかし、なぜ忌み嫌われる雑草を歌うのか不思議だった。彼女が高校時代、夕陽の中のセイタカアワダチソウを見て感動したことから歌を作ったという。
「せいたかあわだち草の まぶしい輝きは あなたのまなざしそのものです」
雑草だという先入観をなくして見ると、きれいな花にも見えてくる。明治時代に園芸用にアメリカから持ち込まれたのも分かる気がする。
さて、飯舘村の菅野村長。
菅野さんがあくまで守ろうという飯舘村にはユニークな村づくりの歴史がある。
飯舘を生き生きした村に改造するため、菅野さんは、村の女性たちを海外に送り出す「若妻の翼」や、男性の育児休暇促進のための「パパクォーター制度」など、独特の村づくりに奔走。自身がもともと酪農家で「いいたて牛」のブランド化にも成功し、村長に4期連続当選。いまや、村づくりの仕上げにかかっていた。
村づくりのキャッチフレーズが「までいライフ」。
「までい」とは「真手」で、両手が揃った状態のこと。「丁寧に」「心を込めて」といった意味で、いわば日本版スローライフ。
菅野は平成の大合併を拒否し、小さな村でいい、村民がともに支え合いながら楽しく美しく心安らかに歩んでいける暮らしを目指していた。
去年には、「日本で一番美しい村」連合のメンバーに登録され、モデル農村として全国から視察が来るようになっていた。その矢先の原発事故だった。
「までい」と酪農の村にとって致命的な打撃だった。
菅野さんは、全村避難にあたり、「2年で村に帰る」と明言した。
飯舘村は、9月28日、全国に先駆けて村独自の具体的な除染計画を作った。
総額3224億円で住環境は約2年、農地は約5年、森林は約20年で終えるというもの。これは全体の除染費用総額を2000〜3000億円と見積もる政府とはケタ違いの金額だ。
また、地表から剥いだ汚染土壌を村内の国有林で仮置きするという仰天のプランを盛り込んだ。どこも自分のところに汚染物質を置きたくはない。
「除染なくして帰村はない。だが、処理物質が持ち込まれることは誰でも嫌だ。したがって、飯舘村に発生した処理物質をほかの自治体に持ってはいけない」(菅野さん)
さらに10月13日には、村復興までの具体的取り組みを盛り込んだ「いいたてまでいな復興プラン」を策定。健康や子育て、地域コミュニティー維持、放射線対策、産業創出を目指す5つの柱を掲げ、それぞれ主要施策や事業を示している。
前途多難であることは間違いないが、飯舘村がどうなるか、支援しながら見て行きたい。