原発事故を取材したフリーランスたち

takase222011-10-22

日本ビジュアルジャーリスト協会(JVJA)による写真展「3.11メルトダウン」が、きょう22日から始まるのに先立って、きのうオープニングパーティがあった。
写真は、挨拶する山本宗補さん(右)と綿井健陽さん。会場には國森康弘、佐藤文則、豊田直巳、古井みずえの各氏も顔を見せた。
彼らが撮った写真に、あらためてあの災害の衝撃の大きさを思った。会場で写真集『3.11メルトダウン』(凱風社)を購入する。
ビジュアルジャーリスト協会のメンバーはみなフリーランス。直後に双葉町に入り、計測不能なほどの高い放射線量のところに人が残っていることを発表していた。

一方、日本の大マスコミが原発事故の後、危険だからと記者を被災地に入れなかった。そのことに、南相馬市桜井勝延市長が憤慨していたことを先日の日記で紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111013

上杉隆氏、烏賀陽弘道氏によるとこうだ。
上杉《日本の報道は権力側の発表を批判することなく「安全だ」と広報してきました。しかし、それには理由があって「安全だ」と報じている人間たちが、実は原発から遥か遠くに逃げているんです。原発事故があった直後にしらべたら、朝日新聞は50km圏外、時事通信は60km圏外に逃げているんです
烏賀陽南相馬市の市役所のみなさんは激怒していました。朝日とNHKは南相馬に支局を持っているんですよ。(略)ところが記者が3月12日頃に南相馬の支局から全然いなくなった。(略)3月下旬になってようやく地元紙の記者が南相馬に帰ってきたときは、ほんとにうれしかったそうです。市役所の人間からしたら、俺たちはどこにも逃げることができずに家も生活も仕事も南相馬にあるから踏ん張っている。それなのにメディアの連中は自分たちを見捨てたって思っているんだよね》(上杉・烏賀陽『報道災害【原発編】』P54)
マスコミ各社に内規があり、朝日新聞が50km、時事通信が60km、NHKが40kmだったという。原発から50kmといえば福島市あたりになる。この話、不思議だが本当だ。

取材に入ったのは海外マスコミとフリーランスだった。
JVJAの綿井さんは、20kmの立入禁止区域でさえ入るべきだと主張する。
《立入禁止になっていたら、むしろ逆に、そこに入っていかなくちゃいけないと思ってる。過去に例があります。鎌田慧さんが、長崎県雲仙普賢岳火砕流のときに(1991年6月)、「FRIDAY」(講談社)の記者と一緒に立入禁止区域に入ったんですよ。それで長崎県警から書類送検されるんです。(略)その時鎌田さんが言っていたのは、もし原発事故が起きて立入禁止になったら、その中の様子はいったい誰がどうやって伝えるんだと―立入禁止になったらむしろ中に入って伝えるのが自分の役目だって―。あのとき避難していた島原の人たちは、鎌田さんの報道で初めて自分たちの町のことがわかった》(写真集の座談会)

私の知り合いの城詰靖之さん(テレビ朝日、27歳)も雲仙の火砕流に巻き込まれて亡くなっている。あの時はマスコミ記者など43人もの犠牲者が出た。この事故を、新聞労連では、行き過ぎた報道競争が人命軽視をもたらしたと批判してきた。各社が危険地への記者派遣に慎重になる一つのきっかけとなった。

しかし、鎌田さんが言っていることが正論だと思う。危険でもリスク覚悟で取材すべきだ。
もし、消防士が火の中に入っていかなかったらどうする。