神社で止まる津波

takase222011-08-21

きのうのTBS報道特集「神社が止めた津波」はいかがでしたか。
ツイッター上では、これまでにない大きな反響があり、興味を持って観ていただいたようだ。
番組化のきっかけになったのは2ヶ月前の6月15日の夜だった。
5年ほど前までジン・ネットで働いていた熊谷航(わたる)君が、久しぶりに会社に遊びにきたので、飲みに行った。
2006年1月、私たちは「西新井事件」という北朝鮮スパイ事件の主犯の工作員「チェ・スンチョル」(写真)の足どりを追っていた。
チェは小住健蔵さんという日本人に成りすまし、小住名義の旅券を使用して何回も欧州や東南アジアと日本とを行き来していた。チェは1985年に国際手配されたが、容疑は旅券法違反だった。小住さんは1970年代末に拉致されたと見られるが、いまも政府認定の拉致被害者17人には入っていない。
2006年になって、チェに蓮池薫さん夫妻を拉致した容疑が浮上し、私たちは、国際手配のタイミングに合わせて番組を作ろうと動きだした。未解明の「西新井事件」に再び光を当てられるかもしれない。
そこで熊谷君に「チェを知っている人を探す」よう指示した。もう30年も前のこと、これといった手がかりがあるわけでもなく、私は「ダメもと」という気持ちでいた。
ところが、3日ほどすると熊谷君が、チェを知る複数の住民を見つけてきた。一人で朝から晩まで、片っ端から家をピンポンして聞きまくったという。しかも、朝、午後、夜と時間帯を変えて同じ家を何度もまわったという。感心した。
その熊谷君は、しばらくしてジン・ネットをやめ、今は海洋調査を仕事にしている。
震災後、福島県の沿岸部で、土木学会の依頼で、津波の被害を調査したが、そこで不思議なことに気づいたという。
津波がどこまで到達したかを見るため、浸水線をたどると、なぜか神社が現れる。それが1回や2回ではない。神社のすぐ前まで波がひたひたと押し寄せた、そういう場所がとにかく多いのだ。
「ひょっとして、神様って、いるんじゃないか」とまで感動した熊谷君は、持ち前の突破力で、休みの日を使って、福島県の沿岸部、新地町から相馬市、南相馬市までの神社、82社をすべて訪れ、浸水図に照合した。
すると驚いたことに、多くの神社がきれいに浸水線の上に並んだではないか。高すぎもせず、また津波に飲み込まれることもない、ぎりぎりのところに神社は建てられていた。
彼は飲み屋に持ってきたカバンに、ちょうどその浸水図を持っていたので、見せてもらった。
「おいおい、それってすごい発見かもしれないよ。番組にしよう」
私は手帳を取り出し、飲むのはそっちのけで、必死にメモを取りはじめた。
神社と津波には大いに関係がありそうだ。
神道アニミズムだから、もともと自然とのつながりが深い。災害という自然の猛威が、神社の立地に影響しなかったはずはない。
こうして取材は始まった。
多くの神社が津波をまぬかれたのは、我々の「印象」だけではないことを確認するために、神社本庁に「延喜式」(えんぎしき)に記載された神社の被害状況を聞いた。
延喜式」とは平安時代中ごろ927年にまとめられた律令の施行細則で、この中の「神名帳」にある神社を「式内社」(しきないしゃ)と言い全国に2861社ある。
平安時代に朝廷から官社として認識されていた神社で、要するに、古い由緒ある神社である。
神社本庁によれば、福島、宮城、岩手の式内社陸奥國百座」のうち、津波被害にあったのは2社のみとのこと。しかもその2社とも、後世、場所を移されたのだという。
つまり、古くからある神社はみな助かっていたのだ。
(つづく)