世界を見渡すと、日本列島は、雨に恵まれた温和なところで、とても暮らしやすい自然環境にあると思う。
ただし、地震、津波、台風と破壊的な災害の多いところでもある。
先人は、災害の記録をさまざまに残した。
三陸海岸には、大津波の被害を伝える石碑が、200基もあるという。
有名なのが、「此処より下に家を建てるな」と碑文に書かれた岩手県宮古市の大津浪記念碑だ。(写真―誰かのHPから無断で使用)
全文はこうだ。
大津浪記念碑
高き住居は児孫に和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
また、災害に関する言い伝えが、全国各地に残っている。これは最近注目され、ネットでも見られるようになってきた。
たとえば、「四国防災八十八話」。
http://www.ccr.ehime-u.ac.jp/dmi/web88_0807/index.html
消防庁は07年に「災害伝承情報データベース」を開設し、2000件近い伝承情報を公開した。
http://www.fdma.go.jp/ugoki/h1908/190731-2_16.pdf(なぜか今は見れないが)
昔からの言い伝えなどを大事にしようという動きは、今回の震災で促進されるだろう。
さて、神社の話に戻るが、「報道特集」の放送のあと、「そんなの当たり前じゃないか」という反応もあった。
津波でやられて消えた神社は淘汰され、助かった神社が残った、それだけのことだ、というのだ。
でも、神社が残ったのは、決して「当たり前」ではない。
さまざまな建造物のうち、被災を免れた比率はおそらく神社が群を抜いていると思われる。また、先に見た「此処より下に家を建てるな」と石碑があっても、人間はすぐに忘れてその下に家を建てるのである。石碑はわすか数十年前、神社は数百年前にその地に建った。(津波で流されたのは新しい神社が多い傾向があることも書いた)
神社だからこそ残ったのだ。
しかし、不思議なのは、「浸水線ぎりぎりに」建つ神社が多いことだ。
単に津波を避けようというのであれば、思い切り標高の高いところを選んで建てればいいではないか。
なぜ「ぎりぎり」なのか?
次回は、これを考えてみよう。
(つづく)