神社修復プロジェクト

takase222012-11-13

去年、津波の浸水線上にたくさんの神社がならぶ、つまり神社が、津波にのみこまれないぎりぎりのところに建っているという不思議な現象を取材し、TBS「報道特集」で放送した。
放送は非常に大きな反響があって、そのあと、取材にかかわった三人で本を書いて、今月末に講談社から出版される予定だ。題して『神社は警告する』。そのうちブログでさわりを紹介します。
はじめに、この不思議な現象を見つけてきたのは、福島市在住の熊谷渉(わたる)君だった。もとは大学院で海洋環境を学んでいたが、一時、私の会社でADとして働いていたことがある。非常にユニークな男である。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110821

彼が、南相馬市の神社を修復するプロジェクトを立ち上げた。
被災地の調査で多くの神社を回るうち、地域コミュニティにとっていかに神社の存在が重要かを再認識し、たった一人で住民支援に踏み出したのだ。私も彼のおかげで、神社という存在に目を開かれた経緯があり、コミュニティの精神的なセンターとして復興に寄与できればすばらしいと思う。
熊谷君の心意気にこたえてわずかでも力になりたい。何とか応援したい。
2か月で250万円集めないと、ご破算になって、寄付金が返還されてしまうというネット寄付のシステムになっている。賛同いただける方は、ぜひご寄付をお願いします。https://readyfor.jp/projects/inarijinja

以下、彼のプロジェクトHPから抜粋する。

いま、福島県南相馬市原町区北萱浜地区では、あの地震津波、そして原発事故を経てもなお、この地に「残る」ことを決断した人々が、復興のための準備を始めています。復興にあたっては、農地の塩抜き、放射線の除染、全壊した家屋の建て替えにあたり財産整理、職探しなど、現実的にやらなければならないことは山積みなのですが、北萱浜地区の人たちは、祭りや集会など、集落の拠り所であった村の神社(村社)を修復することで、集落の復興の足がかりができると考えています。》

 はじめまして、熊谷 航と申します。私は、普段は海や川の環境調査の仕事をしています。そんな私がなぜ、被災地の神社に注目するようになったかというと、津波による被災状況調査がきっかけでした。福島県沿岸部の津波被災地を見て回っているうちに、多くの神社が全壊などの大きな被害を受けていないことに気がついたのです。北萱浜地区も、調査のためによく訪れていた場所です。稲荷神社は海岸から近い平地にあるため、津波を受けて、無傷ではなかったのですが、周囲の壊滅的な被災状況からすると驚くほど無事に済んでいました。とくに、稲荷神社の海側の壊滅的な状況と、その陸側はまったく無事であるという状況は、とても印象的でした。
 震災後は、地域の方々はみな遠隔地へ避難されていたのですが、今年の春に再び訪れてみると、戻ってきた地区の方から「神社修復をしたいのだが、資金的に難しい」という声が多く聞かれました。皮肉にも、津波から残った神社が、今度は存続の危機にあるということを知り、支援できないかと考えはじめたのです。
津波により大きな被害がでた福島県沿岸部には、集落ごとに小さな村の神社=村社があります。実は、福島県沿岸部のこのような村社のほとんどは、津波による大きな被害を免れました。
現地調査で確認した84の神社のうち、8割以上にあたる67社が流されずに残っていて、神社の海側と陸側とで、家屋等の被災状況がまったく異なることがわかりました。(このことは、2011年8月放送のTBS系列「報道特集」でも取り上げられ、多くの反響をいただきました。)
 いま、地区の人々は、そんな稲荷神社に愛着を深めています。そして、復興後の集落は、この神社を中心に、その陸側に家を建てることを決めています。震災を教訓に、将来に起こりうる津波で大きな被害を出さないよう、またこの震災の記憶を決して忘れることがないように、この神社を復興のシンボルとして残したいと考えているのです。
 祭りや集会など、神社は長いあいだ、集落における様々な重要な役割を担ってきました。今回の震災では、津波防災の面でも、その役割をしっかりと果たすことがわかりました。神社の周囲にある鎮守の杜が津波の勢いを弱めていたり、避難する目安として神社の立地場所が適しているという点です。私たちのご先祖は、豊かな暮らしのために必要な、素晴らしい資産を残してくれました。
 千年に一度という、この震災を経験した現代の私たちには、この神社を残し、後世の子孫へと、その教訓を伝える責任があると思うのです。
 北萱浜地区では、被災前人口約400人、95世帯だったのが、死亡53名(避難所での関連死6名含む)、65世帯が全壊、と大きな被害を出しました。家が全壊した住民は、ほぼ全員が職を失い、現在は仮設住宅や遠隔地で避難生活を送っています。
 今回の震災以降、北萱浜地区に住んでいた若い世代の人々は悩んだ末に、みな遠隔地の都市で新たな生活を始めることを決断しました。残った住民たちは、このことを「仕方がないこと」と言いつつも、本当は、若い人たちが胸を張って帰ってこられる、住み続けていきたい、と思えるような地域を取り戻したいと考えています。そこへ向けて、北萱浜地区でどうやって豊かな暮らしを実現していくのか、地区代表の林一重さんを中心に復興が始まっています。
 神社の修復は、豊かな地域づくり復興の第一歩です。もちろん、修復や支援を必要としている神社は稲荷神社だけではありません。ここをきっかけに、他の地区へも広がりが生まれてくることを期待しているのです。神社の修復と存続、このこと自体は、ほんの小さなことなのかもしれませんが、そこから復興への第一歩を踏み出すことができるのです。

【プロジェクトの詳細】
 修復に必要な費用:約500万円(地元工務店の見積)の半額250万円。そのうち、半額近くは、住民たちからの負担と林さんが個人で寄付を募りなんとか集めています。さらに半額がどうしても出てきません。ここを皆さんからの支援で賄います。
全額支援としないのは、復興を人頼みではなく、自分たちの手でやるという考え方が大切だという、林さんたち地区住民の強い意思なのです。
 工事は、南相馬市の猪狩工務店によって、来年1月から始まり、3月頃には完了する予定です。工事内容としては、地震津波で壊れた部分の修復と、海水を被り、腐り始めてしまった基礎にまで及びます。神社等の修復を得意とする、地元の工務店が請け負いますので、完全に元どおりになります。これによって、今後何十年かは、地区の人々が安心して稲荷神社を利用することができるようになります。
 国や自治体による復興が動き始めていますが、住民レベルでは、生活再建のための様々なことを自己負担でやらなければならないことが見えてきました。地区住民の共同所有である村社の修復もそんなもののひとつですが、地区の被災した人々に、神社修復のための費用負担を求めることは、あまりに厳しい要求です。
 また、全国の神社を統括する神社本庁では、全壊した神社に関しては、一時的な救済措置として、小さな祠の築造を支援する仕組みがありますが、これは稲荷神社のように、損壊を受けたものの大部分が残っている村社の修復に関しては支援できません。
つまり、このような村社の修復については、あくまで個人による寄付でしか成立させることができないのです。
 もし、このプロジェクトの主旨に賛同していただけるなら、皆様の温かいご声援とともに、北萱浜地区へとご寄付をいただけないでしょうか。