めぐみさん拉致から33年、新潟で集会があった。
《横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮に拉致されて33年となった15日、新潟市で「忘れるな拉致11・15県民集会」が開かれた。約700人が参加、めぐみさんの父滋さん(78)や母早紀江さん(74)らが「一日も早い解決を」と訴えた。
早紀江さんは「拉致問題が発覚して13年で、被害者5人と家族が帰国しただけ。どんなに悔しいことか」と心情を吐露。「ただ奪われた子どもを奪還したいだけ。元気なうちに一目会い、抱き締めてあげたい」と涙ぐみながら語った。
滋さんは「福田政権時に調査の約束を取り付けたが、その後何も交渉が進んでいない。拉致は人権だけでなく、国の根幹にかかわる問題。政府はもっと力を入れてほしい」と求めた。
また曽我ひとみさん(51)は「この日になると、どうして8年前にめぐみちゃんの手を取り一緒に日本に帰らなかったのかと自分を責めている。何かいい知らせはないかと待っているが、何一つもない」ともどかしい思いを話した。》(時事)
曽我ひとみさんは、拉致されてすぐ、北朝鮮でめぐみさんと暮らした時期がある。招待所といわれる施設で朝鮮語などの学習をさせられていたのだが、夜になると二人で布団の中で小さい声で日本の童謡や唱歌を歌ったという。異国の地で二人のあいだには強い絆があったのだろう。
ひとみさんは、お母さんのミヨシさんと一緒に拉致されたのに、ミヨシさんについての北朝鮮側の回答は「承知していない」だった。ひとみさんにとっても拉致問題は解決していない。
拉致問題は、「横田めぐみさん拉致」ではじまり、めぐみさんは、これまでも、今も問題の象徴でありつづけている。横田夫妻は東京に近い川崎に住んでいることもあって、家族会の代表になるのだが、結果としてこの二人が運動の中心になってよかったと思う。
想像を絶する苦悩の日々を経た被害者家族であってみれば、感情的になったり、北朝鮮を罵っても不思議ではない。しかし、夫妻は単なる被害者家族として、自分の娘さえ助かればよいというところから一段と高い思想的な立場に立っていた。
たとえば、早紀江さんは06年に訪米しブッシュ大統領と面会したさい、米下院公聴会で、拉致問題を解決するだけでなく「ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません」と訴えている。
http://www.rachi.go.jp/jp/archives/2006/0427yokota_video.html
自分が被害者家族であったらと考えると、なかなか言えないことである。
組織というものは、やはり「顔」が重要である。この二人が運動の中心にあったからこそ国民の心を動かすことができた。家族会の現代表の飯塚さんも良識的な人であり、人に恵まれていると思う。
家族会が世論に影響を与えるのはよいのだが、情けないのは政治家だ。早紀江さんが呆れたように私に語ってくれた逸話がある。
政治家がよく横田さんにこう言うという。「拉致問題で私に何ができるんでしょう。何でも言ってください。そのとおりにしますから」。
「私なんか普通の主婦ですよ。何をすべきか考えて実行するのが政治家の先生方の役目だと思うんですけどねえ」と早紀江さん。
わかりましたか、何も考えていない政治家のみなさん!