横田夫妻の白髪に思う

takase222010-11-14

きのう、横浜市杉田劇場で「横田ご夫妻を励ます会」があった。
会場すぐに定員300が満席になり、後ろに多くの立ち見が出た。
私も有田芳生さんとともに講師として招かれた。
壇上では横田夫妻の隣に座った。写真は、早紀江さんがお話をしているとき、失礼ながら撮ったもの。二人の髪が真っ白になっているのを見て思わずシャッターを押したのだ。
私が二人にはじめて会ったのは13年前の1997年2月、「めぐみさんらしい日本人女性を北朝鮮で見た」との亡命者(安明進)の証言を伝えるため、自宅にうかがったのだった。めぐみさんに関する初めての直接証言で、そのビデオを見て早紀江さんが頬に手を当てながら「怖いわ」とつぶやいたのを思い出す。あのころ、二人の髪はまだ黒かった。

13歳のいたいけな少女にふりかかった過酷な運命がメディアに流れ、大きな衝撃を与えた。
こうして拉致問題は「横田めぐみさん問題」として「破裂」した。
夫妻が、新潟市の繁華街、古町交差点ではじめて街頭に立ったときの光景は忘れられない。二人は「横田めぐみの父」「横田めぐみの母」と大きくかかれたタスキを肩からかけ、ハンドマイクを持たされた。こんなこと初めて、という二人だが、戸惑いながらも「恥ずかしがっている場合ではない」と道行く人に懸命に呼びかけていた。
拉致被害者もその家族も、ごく普通の庶民である。
メディアの取材にさらされ、政治家に陳情し、街頭に立ち、支援の市民団体とともに各地を講演してまわって少しづつ世論を変えてきた。
政府は、小泉総理のときにやっと「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」の立場を明らかにしたが、これは強い世論に押されてのことだった。

02年の小泉訪朝で解決かと思われたが、5人以外の被害者はいまだに帰ってきていない。横田さんはじめ被害者家族が経験したこの13年の苦悩、肉体的・精神的ストレスは、我々の想像を超えるものだろう。ほんとうにご苦労様と言いたい。
私は、横田夫妻の闘いを紹介し、拉致問題解決の運動の中心に夫妻がいたからこそ、5人の被害者と家族を奪還し、拉致が10カ国以上に被害者のいる国際的な犯罪であることを暴露するなどの成果をあげてきたと話した。
そして、15年間軟禁されてきたスーチーさんの解放、獄中での劉暁波さんのノーベル賞受賞などに触れながら、人権をめぐって世界中で人々が闘い続けている、一見遅々として進まないように見えるが辛抱強く闘っていこうと訴えた。
国民の拉致問題への関心、解決に向けた願いは衰えていない。
拉致問題解決のために、私にできることがあれば何でもやります」という声は日本中に満ちている。この思いの強さを実感したのが、私も一員だった「7人の会」の運動だった。
拉致問題を世界に訴えるため、02年と去年、ネットで募金を呼びかけた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090225

新聞、テレビなどではほとんど報じられなかった運動だが、いずれも2000万円超が短期間で集り、「ニューヨークタイムズ」(米)、「ル・モンド」(仏)などの海外の新聞に一面広告を載せることができた。http://www.jinken.asia/
拉致問題ほど、国民の総意がはっきりしており、熱意を持つイシューはない。あとは政治が、これを具体的な行動で力にしなければならない。
覚悟のある政治家が数人いれば、事態を動かすことはできると思うのだが・・。
あす11月15日は、めぐみさんが拉致された日。
33年が経つ。