「戦車闘争」 ただの市民が声を上げた時代

 はじめに一つ、リマインドさせてください。

 こんどの土曜日、26日のよる9時から、宇宙史を語ります。よろしくお願いします!

 

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 「勝負の3週間」は過ぎたが、本当に真剣に勝負したい。その3週間にしたい。「真剣勝負の3週間」と言わせていただく

 これは22日の東京都医師会の尾崎治夫会長の緊急記者会見での言葉だ。

 「感染者の増加が止まる気配はない。どこで検査して、PCR陽性(の患者)が出ても驚くことがないくらい出ている。要は市中に入り込んでいる。年末年始にかけて医療体制が手薄になる。本当にこの3週間がラストチャンスだと私は思っている」、「通常診療が本当に駄目になる瀬戸際だ」と危機感を訴えた。

news.yahoo.co.jp

 そして政府に対しては「ぜひ政府、政治を担っている方々にも、どうしたら有効に感染を抑えることができるのか。緊急事態宣言を出してくれと言っているのではない。どうしたら、本当に有効で、効果がある対策、政策が取れるのかを是非真剣に考えていただいて、そして声明を出していただきたい。国民・都民に訴えかけていただきたい」と求めた。

 それなのにGo Toの停止は12月28日以降というのんびりした施策、しかもこれはGo Toという移動促進策をやめるだけで、抑止策ではない。国会は閉じてしまい来年1月18日まで、もっとも重要な年末年始はずっと「お休み」。医師会が「真剣勝負」を訴えても、政治が切迫感を削いでしまっている。

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ニュージーランドでは日本よりはるかに厳しいロックダウンを行って感染を押さえ込んだ。首相がひんぱんに国民に理解を訴え内閣支持率は上昇したという。(モーニングショーより)

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ドイツのメルケル首相の感情的な訴えが話題になっているが、「おじいちゃん、おばあちゃんとの最後のクリスマスにしないで」という訴えは国民に響いたはずだ。

 これらのリーダーに対して、2回しか記者会見していないわがガースーは・・

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 ふらつき、迷走し、手をこまねき、取り巻きと会食して自分をなぐさめるガースー。即刻退陣すべきだが、今は緊急事態。真剣に現状に向き合って対策を打ち出し、国民に訴えてほしい。
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 安倍首相の「桜」のような、政権がらみの政治とカネの問題では、東京地検特捜部が捜査を担当する。

 私の年代だと、全日空の旅客機導入をめぐって米ロッキード社から政財界に工作資金がばらまかれた「ロッキード事件」で、田中角栄元首相が逮捕されたことが強く印象に残っている。総理大臣でもタイホされるんだ・・・。

 次には、1992年、金丸信氏が東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受けた事件
 金丸氏は自民党副総裁を辞任、検察に政治資金規正法違反を認める上申書を提出し罰金20万円の略式命令を受けた。刑罰が軽すぎるとの世論の反発で衆議院議員を辞職した。
 翌1993年、検察は国民からの批判を挽回するかのように、金丸氏を政治資金を流用して個人資産を蓄財したとして脱税で逮捕した。(1987年から1989年にかけて約18億4230万円の所得を隠し、10億3775万円を脱税、1987年と1989年は金丸氏単独の犯行、1988年は金丸氏と第一秘書の生原正久氏との共同の犯行とされた)
 なお、このとき金丸邸の金庫から金の延べ棒が押収され、北朝鮮金日成から贈られたのでは、との憶測を呼んだ。

 2004年に発覚した、橋本龍太郎元首相の派閥が日本歯科医師連盟側からの1億円の献金を隠した事件。橋本氏は嫌疑不十分で不起訴。村岡兼造官房長官政治資金規正法で有罪となったが、当時のドン、野中広務官房長官については起訴猶予とされ、市民で構成された検察審査会は「不起訴不当」の議決をした。

 09年の鳩山由紀夫元首相の資金管理団体の偽装献金事件では、当時首相だった鳩山氏は事情聴取されず、上申書を提出、検察は不起訴(嫌疑不十分)とした。

 こうして、検察は政治とカネの捜索ではときに「甘すぎる」との批判も受けたけれども、ジャーナリストの魚住昭さんによると、政治家が検察首脳の人事に介入しようと何度試みても検察は政権側からの圧力をことごとく退け、人事の自立性を守ってきたという。
 これまでの流れがおさらいできるので、魚住さんの発言を引用する。
 《それが崩れたきっかけは、2010年に発覚した大阪地検特捜部による証拠改ざん事件でした。検察の威信は地に落ち、特捜部廃止論さえ沸き起こりました。》(朝日新聞23日)
 翌年、検察当局は、政界汚職などを捜査する独自捜査部門を縮小する組織改革を発表。
 《これにより、検察は牙を失ったオオカミのようになり、相対的に政治の側の力が大きくなりました。それを象徴するのが、甘利明経済再生担当相(当時)側が建設会社から数百万円を受け取った問題や森友学園をめぐる公文書改ざん問題の不起訴です。
 そんな中16年、法務・検察内部で内定していた黒川弘務・法務省官房長(当時)の地方の検事長への転出人事案を首相官邸側が覆し、法務事務次官に昇格させたのです。安倍政権は自民党政権の宿願をついに達成したかに見えました。さらに「桜を見る会」をめぐる疑惑が表面化した後には、政権は東京高検検事長の黒川氏が検事総長になれるように、定年延長を閣議決定しました。賭けマージャンが発覚せずに黒川氏がそのまま検事総長になっていたら、立件にゴーサインを出していたとは思えません。それを期待して、定年延長したと考えるのが自然ではないでしょうか。
 安倍氏の聴取など立件に向けた動きは、黒川氏の定年延長問題で検察人事に介入してきた政治の側へのリベンジという意味もあると思います。「検察をなめんなよ」と。これを機に、検察と政治の力関係は再び変わるでしょう

 ほんとうにそうなってほしいと思うが、これまでの経緯を見ると、市民の声もそれなりに役割を果たすことがわかる。もっと声をあげることが必要だ。
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 市民が声を上げるといえば、映画『戦車闘争』がおもしろかった。

 先週末、奥歯の詰め物が取れてきて、月曜朝、歯科医院に駆けこんだのだが、その歯科が映画館「ポレポレ東中野」のすぐ近く。ちょうど観たいと思っていた映画だった。

sensha-tousou.com

 「ベトナム戦争終盤を迎えていた1972年、アメリカ軍は破損した戦車を神奈川県相模原市の相模総合補給廠で修理し、再び戦地に送るべく横浜ノースドックへ輸送していた。それを知って憤った市民がノースドック手前で座り込みを敢行、戦車の輸送は断念された。この事件をきっかけに相模総合補給廠の前にはテントが立ち並び、およそ100日間におよぶ抗議活動がはじまる。映画『戦車闘争』は、座り込みに参加していた者から彼らを排除する側までのあらゆる当事者や専門家など総勢54人の証言によって、日本現代史上希に見る政治闘争の顛末を明らかにする白熱のドキュメンタリー映画である。」

 当時大学1年の私がはじめて参加した「闘争」で、とてもなつかしい。それまでも公園での集会やアメリカ大使館へのデモなどには行っていたが、いわゆる「現場」は初めてだった。
 私たちは当時、「相模原補給廠」、「ノースピア」と呼んでいた。映画では「ただの市民が戦車を止める」会、社会党、べ平連が登場するが、共産党も中核も革マルも主だった左翼はみな参加した。ただ、端緒は、罪のないベトナムの人々を殺す戦車がここから出ていくのは許せないと、まさにただの市民が立ち上がったことだったという。

 当時、日本という兵站基地がなければアメリカはベトナム戦争を遂行できなかったと言われている。私は「ベトナム人民支援委員会」で活動していたので、米軍の戦車などの修理、メンテナンスをする日本が兵站基地として巻き込まれ、ベトナムの人民に対して我々は加害者になっていると思っていたので、これらの戦車や装甲車を止めることには大きな意味を見出していた。
 とにかく戦争をやめて、と叫ぶべ平連などに対して、我々は北ベトナムを支援して抗米戦争にはやく勝利させることで平和を達成するという主張なので、かなり路線は違うのだが、戦車を止めようと一緒に闘った。

 映画の取材に応じた元機動隊員も、近くの商店街の人たちややじ馬が(初期段階では)闘争を支援して困ったと言っている。普通の市民が声をあげ、大きく育った貴重な体験だった。機動隊に囲まれながら座り込んだ市民が「赤とんぼ」を合唱するさまは、まるで去年の香港を彷彿させた。

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NHKおはよう日本」より

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罪のない子どもやお母さんや一般の市民の殺戮に使う戦車を止めたいと「毎日おにぎりをつくって支援した」という渋谷正子さんは、孫の遥奈さんと映画を観に行った。

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遥奈さんは「批判対立が怖く、直接自分の意見を誰かに伝えるということが(おばあさんのころの)昔に比べたら少ないんじゃないかと映画を観て思ったという。そして、これからは「声を上げていく」と。

 そして闘争は敗北し、M48戦車を含む戦闘車両の輸送が完全に再開した1972年11月8日。早稲田大学キャンパスで文学部の学生、川口大三郎さんが革マル派に拷問され虐殺された。「川口君事件」である。ここから早稲田大学革マルを相手に歴史的な民主化闘争が展開された。
 何らかの活動に直接参加した学生の比率からいうと、おそらく(少なくとも戦後は)早大始まって以来の大衆参加の運動だったと思う。「インターナショナル」を歌う革マルに、学生の大群衆が「都の西北」を歌って対峙した光景が忘れられない

 日本にも若者が立ち上がったときがあったのだ。映画を観て、遠い日を追憶した。
 若い人に言いたい。もっと声を上げていいんだよ、と。