めぐみさんの不思議な噂

きのう紹介したトークライブは、期待以上に素晴らしい内容だった。
ふつう、夫妻の講演会だと、お話は20分づつくらい。拉致問題のアピールが中心で話は限定される。これに対して、トークライブでは、めぐみさん事件をはじめ拉致問題をよくフォローしている笛吹雅子さんが司会をして、1時間たっぷり、我々が聞きたい話を引き出しながらの掛け合いが続く。
めぐみさんの思い出からはじまって、事件発生と捜査結果、自殺も考えた絶望の日々、早紀江さんの入信、97年の拉致問題の発覚、02年「死亡」を伝えられたときの心情、金賢姫との面会と来日批判について、拉致問題解決への道まで網羅した内容だ。
横田夫妻についてはよく知っていると思っていた私も、あらたに考えさせられたことがいろいろあった。滋さんが日銀勤めで政府の言うことを信用しがちだと語ったが、その滋さんが政府批判を強めているのはよほどのことだろうと思う。早紀江さんが、若いころは涙が滝のようにザーッと流れて体がすっきりしたが、最近は歳のせいか悲しくても涙が出ないと言うのを聞いて、今の方がストレスがきついのだろうと心配になったりした。
ネットの動画で見られるので、拉致問題に詳しい人にも、またよく知らない人もぜひ観ていただきたい。
http://www.ntv.co.jp/action/talklive2010/#theme
私自身の取材の「やり残し」を反省させられた箇所もあった。
早紀江さんは、新潟で「めぐみさんが帰ってきた」という噂が流れた不思議な出来事について語っている。(トークライブ動画の13分以降)
めぐみさんが失踪からだいぶ経って、早紀江さんがデパートに買い物に出かけると、双子の息子さんの友達のお母さんが声をかけてきた。
「よかったわね、めぐみちゃんが見つかって!」
仰天する早紀江さんに、そのお母さんは、「めぐみちゃんは戻ってきたが、精神的なバランスを崩して新潟市内の病院に入院している、世間体を慮って警察も日銀もそのことを伏せている」という噂を聞いたと言った。
早紀江さんが家に帰ると電話が鳴った。今度はめぐみのかつての友だちの母親で、「めぐみちゃんが戻ったんだってね」と電話口で興奮している。
早紀江さんは警察に通報したが、病院を調べてもそんな事実はない。その噂を辿ってみたが、結局分からず仕舞いだった。警察は噂が事実ではないと発表し、新聞には「悲しむ家族に追い討ちをかける悪質な噂」という記事が載った。
私は非常に気になってこの噂については『拉致−北朝鮮の国家犯罪』(講談社文庫)でも書いた。
というのは、めぐみさんの事件が拉致ではないかと表に出るきっかけになった、北朝鮮からの亡命した工作員の証言はこうなっていたからだ。
「(拉致されてきた)少女は賢い子で、一生懸命勉強した。『朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる』といわれたからだった。そして、十八になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった」。
亡命者の工作員は、その病院でその少女と一緒になり、その話を聞いたのだった。
私が調べたところでは、その噂は当時かなり広まっていて、「めぐみちゃんは、朝鮮から見も心もボロボロになって帰ってきた」と「朝鮮」というキーワードが入った形で記憶している人も複数いた。
早紀江さんは、トークライブではめぐみさんの失踪(77年11月)の一年くらい後と言っているが記憶違いだろう。私の取材には「83年6月に新潟から東京に転勤する少し前」と答えていた。
82年ごろとすれば、めぐみさんは18歳くらい。工作員の話とぴったりと符号するのである。新潟にある北朝鮮工作機関の関係者から漏れた情報が噂になったものと私は推測している。
新潟市在住の人で、あのスナックで飲んでいたときに聞いた、など具体的な情報を語ってくれた人もいた。こうした情報をもっと早くに調べていれば、日本国内の工作ネットワークの一部を突き止められたかもしれない。
それは、めぐみさんたちが暴露した「大きな政治のなかの大変な問題」(小泉訪朝会見での早紀江さんの言葉)にかかわっている。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080506