めぐみさん拉致の日に将軍様にハガキを出した

takase222011-11-15

また、11月15日がやってきた。
横田めぐみさんが拉致された日である。まだ解決できずに申し訳ない気持ちになる。
横田めぐみさんが拉致されて34年に当たり、新潟市内で15日、集会が開かれ、めぐみさんの両親が、拉致問題の解決を声をからして訴えた。
 集会には約800人が参加。めぐみさんの父、滋さん(79)は「拉致問題は子供がいなくなったというだけでなく、工作員が日本にやってきたという主権侵害の問題です。世論の後押しがなければ、政府が交渉を進めるのはやりにくい」とし、「引き続き関心をもっていただきたい」と話した。
 母、早紀江さん(75)も「私たちは普通のおばあちゃんとおじいちゃんです。深い知識もなく、経験したことを伝えることしかできません。あらん限りをもって全面解決することを願っています。助けてください」と訴えた。
 集会には新潟県佐渡市の帰国した拉致被害者曽我ひとみさん(52)も出席。「(一緒に拉致された)母(のミヨシさん)がそばにいてくれたらどんなにありがたいか」と会場に語りかけた。
 滋さんは降壇中、足下をふらつかせ疲れた様子を見せる場面もあった。夫妻は今も集会や講演で全国を飛び回る日々。講演は1200回を超えた。
 スケジュール帳は月曜から日曜まで休むことなくびっしり書き込まれている。手のひらサイズの手帳には収まり切らず、2週間程度の予定はA4用紙3枚に書き出しているほどだ。連日届く励ましの手紙にお礼状を書くため、地方に呼ばれても必ず最終便までに川崎市の自宅に帰るという》(産経新聞
先日、近くお会いしたいと、横田早紀江さんに電話したら、「予定がびっしり入っていて、くたくたなんですよ」とおっしゃっていた。ふだん弱音を吐かない方なのにと思って、具体的に聞いてみると、本当に毎日、日曜日も休日も予定が詰まっている。まさに東奔西走の日日。
家族会の代表を辞めて、かえって忙しくなったようにみえる。特に最近、めぐみさんに関する情報が出てきたり、心労も募ることだろう。
どうぞ健やかにと祈ります。
家族だけでなく、支援者も歳をとっていく。先日は、新潟の救出運動のシンボルのような存在だった馬場先生が亡くなった。
《集会に先立ち、新潟市内では、めぐみさんが通っていた小学校の元校長、馬場吉衛さん=享年90=をしのぶ会が開かれた。馬場さんはめぐみさん救出に文字通り命を尽くして活動してきた。
 「めぐみちゃんは生きている。きっと帰ってくる。この時計の針がとまる日までに」。平成16年のめぐみさんの誕生日に滋さんらに贈られた時計の裏にはこうした誓いの文字が刻まれていた。しのぶ会で、滋さんは「馬場先生が救出活動に加わってくれたおかげでここまでこられた」と涙を流し、早紀江さんも震える手で馬場さんからもらった手紙を読み上げ、「どんなに先生に支えられたか分からない」と遺影に深々と頭を下げた》
そしてきょう、平壌で行なわれたサッカーワールドカップ予選の日本対北朝鮮の試合は、日本が北朝鮮に敗れた。
朝鮮中央通信は「偉大な領導者、金正日同志が抱かせてくれた胆力と度胸があり、きょうの試合で勝つことができた」との北朝鮮の監督のコメントを伝えたという。
ちょうどいいタイミングだと思い、将軍様へのハガキを出した。
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が提唱しているもので、今回は第14弾。機関紙『かるめぎ』の付録に朝鮮語のハガキがあり、これに70円切手を貼って投函すればよい。。金親子の写真が印刷してあるから、誰でも破ったり棄てたりはできない。
文面は;
偉大なる将軍様
北アフリカのエジプト・リビアチュニジアでは国民の民主化運動で長期独裁政権がつぎつぎに打倒されました。他のアラブ諸国でも民主化運動が盛り上がっています。もはや独裁政治で人民を支配できる時代は終わりました。貴国に対する国際社会の批判も日増しに厳しくなっております。
私は親愛なる将軍様とそのご家族が幸せなる余生を送れることを心より願っております。そのために以下のことを実行されますようお願いいたします。
● すべての人民に対して、政治的・経済的・社会的権利を保障することを宣言した上で、現在、将軍様とご家族が保持している一切の権力を放棄してください。
● その前提として国際機関の人権査察団を受け入れたうえで、強制収容所に拘禁されているすべての政治犯を釈放し、貴国領内に拘留されているすべての外国人と南朝鮮人を出国させてください。》
ちょっときれいな切手を貼った。子どものお土産にでもと私のハガキを家に持って帰る職員がいて、家族で「きれいな切手だね」などと話題にされたりして・・・
運動には「軽さ」と「ユーモア」が必要だ。