タイガーの醜聞に思う2

「成功」で追及されるものは、相対的価値しかもたない。
冨、地位、名声などは付属物や肩書きであって、自分以外のものであり、いくら多く獲得しても、心の充足にはならない。
一方、はじめから「成功か失敗か」という価値観で生きていない人もいる。
最近、木村ひろ子さんという女性について知った。
「彼女は生まれて間もなく脳性マヒにかかり、両手両足が動かず、話すこともできなくなった。その上、3歳のときに父親が亡くなり、13歳のときには母親も亡くなった。彼女は学校にも行けず、わずかに動く左足で辞書をめくって漢字を覚えたという。
彼女は、そのときのことを《不就学 なげかず左足に 辞書めくり 漢字暗記す 雨の一日》と詠っている。また、次のような詩もある。《左足に 米とぎかしぎ 墨をすり 絵をかきて生く ひとすじの道》。彼女は左足で墨をすり、左足に筆をはさんで絵を画いた。そして、その絵を売って得た収入の中から、毎月、体の不自由な人たちのために寄付をしているという。以下は、この木村さんの文章である。
わたしのような女は、脳性マヒにかからなかったら、生きるということのただごとでない尊さを知らずにすごしたであろうに、脳性マヒにかかったおかげさまで、生きるということが、どんなにすばらしいことかを、知らしていただきました。》 」
世の中には、こんなにすごい人がいるのだなあ・・・。
「成功」を追い求めれば、人は絶えず不安になる。「成功」ではない価値観で「充足」することをめざしたい。
深く生きたいと思う。
(参考:山田邦男『苦しみの中でこそ、あなたは輝く』)