セミパラチンスクと北朝鮮4

ソ連、中国、北朝鮮の核開発に共通の構図が見られるのは、北朝鮮が、共産主義全体主義の一変種であるからに他ならない。
私はかつて共産主義者だったが、権力についた共産党がおそるべき犯罪行為を犯しており、「人民の民主主義的権力」などという美しいスローガンが完全なウソだったことを知った。
体制による犠牲という観点で見れば、ソ連における犠牲者数はおよそ2000万人とされ、ナチズムよりも凶暴だった。中国が6500万人。200万人弱のカンボジアなども含め、共産主義全体主義によりおよそ1億人が犠牲になったとされる。
戦争が終わってからも、ソ連強制収容所では次々に無実の囚人が殺されていき、中国では1958年からの大躍進の時期だけで3500万人が人為的餓死と処刑で殺されている。
戦争のない平和な時期、それらの国内では《政府による国民への戦争》が戦われていた。
20世紀は戦争の世紀と言われ、多くの人々が犠牲になった。しかし、あらゆる戦争の犠牲者を合計しても、全体主義とくに共産主義による犠牲者はこれをはるかに凌駕する。つまり、戦争よりも「体制」が怖いのだ。
昔同じ左翼運動をやっていたときの仲間と会う機会があるが、「金正日体制は打倒すべきだ」と私が言うと、「お前は戦争になってもいいのか」と反論がくる。中には、北東アジアの安全保障体制を北朝鮮も含めてつくるべきだなどという意見さえ言う人がいる。毎日、収容所で人々を殺している体制と仲間になって「平和」を保障しあおうとは・・・。
「戦争がなければよい」という平和至上主義は不十分であり、場合によっては大きな誤りにさえなる。さらに言えば、ほんとうの平和は「人権」につながっているはずだ。
17日の日記で姜哲煥氏の推測を紹介したが、実際に北朝鮮の核開発に政治犯収容所が「寄与」しているとすれば、核と人権の問題はおぞましい形で直結していることになる。北朝鮮の核の脅威を除くためにも、人権を柱にした運動が重要なのだ。
《政府による国民への核戦争》をやめさせることが、最終的には日本をも安全にする唯一の道なのだと思う。
将軍様へのハガキ」は、誰でもできる運動で、とても面白いアイディアだ。ホームページからダウンロードして印刷できればありがたいのだが。

参考:クルトワ他『共産主義黒書』