「人権」のために避けて通れない「共産主義」批判

 きのうは多摩川のサイクリングロードを自転車で走った。

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初夏の陽気のなか、気持ちのよいサイクリングだった

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多摩川の河川敷はたくさんの人が休日を楽しんでいた

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 3日は憲法記念日。翌4日の朝刊はこれ。

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別なことに「意欲」を示してほしいが

 憲法があるのに使わず改憲 (大阪府 森松明希子)
                =4日の朝日川柳
 策もなく憲法のせいと口走る (京都府 森田 潔)
                =5日の朝日川柳

 今回の緊急事態宣言下、自宅療養中に、適切な医療が受けられず亡くなったコロナ感染者が17人にのぼっている。
 またこの1年で、コロナ感染の影響で、がんの検診が受けられず、日本全国で8000人超の人が肺がんを見過ごされた可能性が高いという。

 人命の方が大事だろ!という理由で、東京五輪の開催に反対

 人権の方が大事だろ!という理由で、北京冬季五輪のボイコットに賛成
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 20世紀のもたらした最大の謎であり災厄は「全体主義」だといわれる

 全体主義といえばハンナ・アーレント

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みすず書房の出版。1974年の邦訳以来のロングセラーだが、2017年に新版(写真左)が出て全面改訳され、著者名が「ハナ・アーレント」から「ハンナ・アーレント」になった。

 彼女によれば、体制としての全体主義は、ナチズムとスターリニズムで、「専制、暴政、独裁のような私たちに知られてきた他の政治的抑圧の形式とは本質的に異なるものである」。(『全体主義の起源』(新版③、P324 )注
 
 注:この本に「全体主義的独裁」という用語が一ヵ所だけ登場するが(P70)、すぐ後に、「テロルは特殊全体主義的な統治形式となるのである」として、ふつうの独裁や専制とはっきり区別している。

 ちょっと雑談。2017年1月、トランプ大統領の登場の影響だろう、この『全体主義の起源』がアメリカでベストセラーになった。トランプを選ぶ一方で、こんな難しい古典が多くの人に読まれるとは、アメリカ人って不思議だな。

 アーレントは「左の全体主義」としてはスターリニズムしか名指ししていないが、ここでは「共産主義」全体を俎上にあげたい。(「共産主義」はコミンテルン共産党の運動と権力、つまり現存した社会主義運動・体制をさす)
 というのは、大虐殺を含む人間に対する犯罪はソ連共産党だけに見られるものではないからだ。
 アーレントは、1966年6月の論文で、ソ連では1953年のスターリンの死以降「非全体主義化」が進んでいる一方で、「真正な全体主義的支配」が「中国において発展する可能性がある」と指摘している。ちょうど中国で「文化大革命」が始まりを告げたころである。これを見てアーレントは、ヤバい!と思ったのだろう。

 実際、「共産主義」は、カンボジアポルポト政権を、そして北朝鮮という「怪物」を生み出した。「共産主義」全体に、スターリニズムと「共通するなにか」があるはずだ。

 なお、アーレントの定義では、専制や独裁と全体主義は「本質的に異なる」というのがポイントで、私が北朝鮮を「独裁」と呼ばない理由はそこだ。現存の共産党社会主義国家のなかに、全体主義ではなく、ふつうの「独裁」もありうるが(例えばキューバなど)、全体主義の傾向をさぐるために、「共産主義」全般をざっくりとくくって考えていく。
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 さて、ニュルンベルク裁判では、ユダヤ人やロマ(ジプシー)の虐殺など、ナチスの所業は「人道の罪」として厳しく裁かれた。結果、人類はこの悲劇を決して再現させてはならないと認識されている。

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アウシュビッツの入り口には「労働は自由にする」の標語が(以下、2016年高世撮影)

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広大な面積の収容所跡が遺跡として整備されている

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復元された人体の焼却炉

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ユダヤ人を運んだ列車の前で

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モニュメントを見学する人々


 現在ドイツでは、ホロコーストナチスユダヤ人などに行った大量虐殺)を公然と容認したり、事実を否定したりした場合、5年以下の自由刑または罰金刑とする「ホロコースト否定罪」が刑法130条(民衆扇動罪)に定められ、ナチスの賛美や犠牲者の尊厳を傷つける行為も犯罪になるという。
 去年12月には、ホロコーストはなかったと繰り返し主張していた92歳の女性が、禁錮1年の実刑判決を受けている

 ナチズムは、絶対的な「悪」であり、大量の研究、調査が行われ、出版、映画、テレビなどあらゆるメディアでナチズムの災厄は教訓化されている。
 また、犠牲になったユダヤ人は名誉回復され、遺族やユダヤ人団体は補償を受け、今も大規模な追悼式典を世界各地で行っている。

 ところが、である。「右の全体主義」(ナチズム)が激しく断罪されているのに対して、1億人の殺害という、もっと残酷な犯罪を行った「左の全体主義」の扱いは著しくバランスを欠き、批判・追求・検証が弱すぎる。

 ソ連では、スターリンによる大粛清が、彼の死後の1956年に暴露され(スターリン批判)、ペレストロイカで一部の犠牲者が名誉回復された。1990年以降の東欧社会主義圏の崩壊では、一部の秘密警察の所業が暴かれ、レーニン像が引き倒されるなどの現象はあったものの、責任ある検証・反省はきわめて不十分だ。

 中国共産党毛沢東(6000万人以上の死に責任がある)の評価を「功績七分、誤り三分」と結論づけた。これではもちろん、犠牲者が真相解明や補償を求めることなどできない。さらに中国では近年、毛沢東再評価の動きがある。

 これまで「共産主義」の犯罪の追求は、右翼かトロツキストアナキストが行ってきたが、大きな声にはなっていない。

 その理由はなんといっても、ソ連が第二次大戦の戦勝国として国連の安保理常任理事国になったことが大きい。戦争の対抗関係のなりゆきで、ソ連はナチズム(右の全体主義)を倒した「民主勢力」の一翼になってしまったのだ。
 つまり「悪いやつ」をやっつけた「いいやつ」が、「悪いやつ」がやったような酷いことはしないはずだよな、というわけだ。それで「カチンの森」の犯罪なども長いこと隠ぺいされてきた。もちろん、国際裁判でソ連の「過去」が追及されることもありえない。(本来は裁かれるべきなのに)

 それに強弱の程度はあっても、「共産主義」の流れを引く左翼運動、労働運動はいまだにそれなりの勢力があり、リベラル全体のなかでも無視できない。「左の全体主義」の悪をつつけば「右」を利することになる、と目をつむる誘惑に逆らえない。

 「功績七分」じゃないけど、まあ、あれは社会主義の「逸脱」だったんだよね、と(ちょっと)反省するくらいが関の山だった。

 しかし、本来、左翼・リベラルこそが「左の全体主義」をしっかり総括して、どこがおかしかったをえぐりだす責任があるのではないだろうか。
 それぬきに「人権」を声高に叫んでいいのだろうか。
(つづく)