トイレの世界標準1

takase222009-09-25

ベトナムに初めて行ったのは、南北統一直後だから30年も昔の話だ。
南部メコンデルタをバスで移動していた私は下痢をしていた。押し寄せてくる腹痛と便意に汗がたらたら流れてきた。我慢できなくなって、運転手に助けを求めた。
見渡す限り、田んぼや畑が広がっているだけで、ドライブインもなければ食堂もない。バスは道路そばの農家を見つけて止まり、そのトイレを使わせてもらうことになった。
家の近くに池があった。池に渡された板の橋を指差され、腹を押さえながら揺れる板の上を歩いていくと小さな「小屋」に突き当たった。簾のようなムシロで囲ってあるそこがトイレだった。しゃがむと下には緑色の濁った水が見えた。
もうなんでもいいから、早く早く!急いで用を足す。助かったあ・・・安堵と虚脱感。
トイレは池面から1.5メートルほどの高さで、何本かの柱で支えられていた。ぐらぐらして安定感はない。緊急事態でなければ使う気にならなかったろう。屋根はなく、広さは1メートル四方ちょっとか。
下からバシャバシャと水音がする。見ると、たくさんの魚がエサを争っているのだった。エサとは私の落としたものである。
うわあ、こんなトイレもあるんだなあ、世界は広いなあ、と文化ショックのなか、私はぼうっとしてそれを見ていた。そこは養殖池で、魚は当然人間が食べる。後で考えると「究極の食物連鎖」である。
私は排便後、紙で始末して池に投げ捨てたのだが、しゃがんだ目の前の床に、水の入った空き缶がある。あれ、何だろう?
ああ、これがガイドブックに書いてある「おしりを洗う水」なのか。池に紙なんか落としてはいけなかったらしいと気づいたが、もう後の祭りだった。
ここに紹介したのは、あるブログで見つけたメコンデルタの「池上トイレ」の写真。このブログ、いろんなタイプのトイレの写真を載せている。今では農村でも紙を使うようになっているようだ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1004/tabifolder/toilet/toilet.html
また、メコンデルタで下痢をして「魚便所」で用を足すはめになった人は私だけではないらしく、この手の体験談はいくつかのブログに登場する。
http://data.livex.co.jp/okonomi/9605/murano.html
あるサイトでは、ベトナムのトイレに関する以下のような質疑応答が載っている。答えているのは旅行代理店。
《Q:メコンデルタ(ミトー)になんとしても車椅子の妻を伴って出かけたいと思っています。多少は歩けますので、ボートの乗り降りに少しの介助があれば問題ないのですが、心配はトイレです。ミトーの往復あるいはデルタ内に洋式トイレはまったくないのでしょうか。情報いただければ助かります。》
《A:ミトーで確実に洋式トイレがあるところは現地のレストランの「チュンルン」、また、メコン河に浮ぶ島の1つユニコーンアイランド、あとはベンチェーに出来たばかりの新しいレストランにも洋式トイレがあります。ミトーまでは片道2時間弱なので、ホーチミン出発前とミトーの3箇所があれば問題はないと思います。》
http://www.vietnam-go.com/message-29-40798
異国のトイレ事情は、食べ物の違いなどよりもはるかに切実な場合があることが分る。
今もなお、東南アジアのかなり広い範囲において、排便後、紙ではなく水で始末することは、すでに知られていると思う。
中国・朝鮮・日本では紙が、東南アジアでは水が使われるのをそれぞれの「風習の違い」と言う人もいる。でもそれは民族の「好み」の問題ではないはずだ。
そもそも紙というものは、文明史においては、ごく最近まで貴重品だった。私は子ども時代、要らなくなった新聞紙や雑誌のページでお尻を拭いた覚えがある。それは「便所紙」と呼ばれ、手で揉んで柔らかくする技術が必要だった。日本の田舎では、私たちの親の世代に、紙以外のもの(これについてはいずれ詳しく書こう)から「便所紙」が使われる時代に移行したと思われる。今でも、世界には紙がふんだんに入手できない人々がたくさんいる。水の豊富な東南アジアのモンスーン地帯で、水で排便後の尻を洗ってきたのは、環境合理性に合った、ごく自然で理にかなったことだった。ちょっと歴史をふり返れば、トイレのありようと作法は、人間と自然のかかわり、もっと言うと、技術と生産力、エコロジーの表現でもある。
とすれば、地球環境を人類全体で考えるべきグローバル化した現代においては「より望ましいトイレはどれなのか」と「優劣」をつけていくこともあっていいのではないか。
「どんなトイレもそれぞれの文化であり等価値だ」とする多元主義ではなく、「トイレの世界標準」を考えてみたいのである。
(つづく)