きょうは、「意見広告7人の会」の今年3回目の記者会見だった。
「7人の会」からは、有田芳生さん、湯川れい子さん、勝谷誠彦さんと私が出た。ありがたいことに、忙しいなか横田滋さんと早紀江さんがわざわざかけつけて激励してくださった。お二人の言葉はウェブサイトで見ることができる。http://www.jinken.asia/
会見ではまず、ワシントンDCで開かれる4月26日から5月2日までの北朝鮮人権週間中に、オバマ大統領あての意見広告が「ニューヨーク・タイムズ」に載ることが決まったことを報告した。この時期、日本の家族会からも飯塚会長と増元事務局長が訪米するので、いいタイミングだ。
「北朝鮮という地獄をあなたは見過ごすのか」とちょっと挑発的なタイトルで、一番上に、小6のめぐみさんが花火大会の夜、二人の弟と一緒に並ぶ写真を置いた。家族が切り離される悲劇を強調したかったのだ。http://www.jinken.asia/data/n_times090414.pdf
そしてきょう、韓国の三大紙「朝鮮日報」「東亜日報」「中央日報」に意見広告を載せる新方針を明らかにした。北朝鮮に対するに、韓国との連携はどうしても必要だ。アメリカ向けは大統領あてだが、今回は韓国の国民あての手紙にした。
数年前、年配の韓国人に当時の韓国政府の太陽政策を批判すると、彼は私にこういった。「昔と今では、日韓の立場が反対ですね」。
1959年のいわゆる「帰国運動」では、在日朝鮮人の北朝鮮移住を自民党から共産党まで、日本の全政治勢力が後押しした。その一方で、当時の韓国と民団は共産主義の地獄に同胞を送るなと大反対した。87年の大韓航空機爆破事件のとき、韓国の情報部の謀略説が日本のメディアをにぎわせた。ソウルオリンピックのころまで、日本では、韓国に対する評価は低く、逆に北朝鮮には好意的な感情があった。
北朝鮮核危機を経て、拉致問題が大きくなってきたのが90年代末だが、ここで逆転が起きる。韓国は98年、金大中政権ができて太陽政策へと進んでいく。金賢姫(キムヒョンヒ)も表に出られなくなり、北朝鮮を刺激する日本の拉致問題には韓国は協力しなくなっていった。それどころか、金大中政権は2000年、原敕晁(ただあき)さんの拉致実行犯、辛光洙(シングァンス、後にめぐみさんや地村さん夫妻の拉致にもかかわったとされる)を釈放したうえ、北朝鮮に帰してしまったのだ。
こうして日本と韓国は、北朝鮮に対して歩調を合わせてこなかった。
韓国も大統領がかわり、3月の飯塚繁雄さんと耕一郎さんが金賢姫氏に面会したことを見て、いよいよ新しい日韓関係が始まったという印象を持った。その気持ちが、韓国民への呼びかけの冒頭の「面会実現にあたって示された韓国政府と国民のご理解に対し、私たちは深く感謝するものです」という文章に込められている。http://www.jinken.asia/simen_kankoku.shtml
ところで、会見が始まる前、早く着いた湯川れい子さんとお茶を飲んでいたら、ダライラマ法王やチベット問題をめぐって意見が合い、今の「スピリチュアル」はオカルトばかりでおかしいという話で盛り上がった。こんどゆっくりお話しする機会を持ちたいものだ。