覚りへの道10-覚り体験1

久しぶりに「覚りへの道」である。これまではイントロダクション=序論だったが、これからどうやったら覚れるかという実践的な課題へと向かっていきたい。
このブログは、私の気の向くまま、時事問題、ジャーナリズム、北朝鮮、身辺雑記など雑多な話題で書いてきたが、意外にも、この「覚りへの道」シリーズを面白がって読んでくれる人がけっこういるようだ。プレッシャーにもなるが、励みにもして書いていこう。
私の仕事である取材では、はじめに持っていた取材対象への「イメージ」や「先入観」や「仮説」が、取材の進行につれて覆され、修正を余儀なくされるものである。これがまた取材の醍醐味なのだが、同様のことは学者が研究をしたり、職人が修行したりするときも普通にみられることだろう。
私が持っていた「覚り」のイメージも、学んでいくにつれ、次々にひっくり返されてきた。ただ、それが良い方向に、うれしい形で裏切られていくので、面白くなってますます学びたくなるという「よい循環」ができている。
たとえば、私ははじめ、こんなふうに考えていた。
《覚るためには、どこか人里はなれた静かなところで、テレビや新聞も見ずに、俗世とはなるべくかかわらずに暮らし、少欲知足、清貧のなかで瞑想にふける必要があるのではないか・・・》と。
しかし、大乗仏教を学ぶと、覚りのイメージはこれとはかなり違っていた。
大乗は別名「菩薩乗」とも言い、ドロドロとした現実のただなかで、衆生とともに苦しみ悩みながら、菩薩として生き、覚っていくという姿をむしろ本旨とするようだ。
私は、自分の生き方を、世界中の人々の幸せにつなげていきたいという性向が強いようで、「一人はみんなのために」みたいなフレーズに単純に感応してしまう。だから、「自分一人が気持ちよくなればいい」という覚りのあり方よりも、大乗の覚りのほうがはるかに「かっこいい」と思い、そうありたいと願うようになった。
さて、当面の目標である「覚り体験」である。
これについても、私が持っていた先入観は、学び(取材?)を進めるにつれ、みごとに覆されていった。
《静かに座禅や瞑想をしているその最中に「覚り」はおとずれる・・・》はじめ、私は漠然とこう考えていた。しかし、いざ「覚り体験」のエピソードを調べはじめると、そうしたケースはいくら探しても見当たらない。
逆にこんな例が出てくる。
日日是好日」(にちにちこれこうにち)という言葉で有名な雲門禅師(864〜949)は、ある日、師の睦州(ぼくじゅう)に室外に何度も突き出されそうになった。雲門の片脚がまだ外に出きっていなかったのに睦州が戸を強く閉めたので脚が折れた。「痛い!」と叫んだとき、雲門は「豁然(かつねん)として大悟(たいご)した」・・・・
こんどは日本の禅僧の例。
雪潭(せったん、1801〜1873)は、七日で悟ると師に約束した。七日目の払暁になっても覚れない。絶望のあまり、楼上から飛び降りて自殺しようとしたとき、コケコッコーと鶏の声。びっくりして尻餅をついた瞬間に「豁然として大悟した」・・・
それぞれシナと日本で知られた禅の名僧である。
かたや、師匠ともみあって大怪我をし、かたや、自殺まで企ててひっくりかえって「大悟した」というのである。
「静かな瞑想」どころか、はげしいドタバタのなかで覚っている。
いったいどういうことなのか。ここに覚りというものの「メカニズム」が見えてくる予感がする。
(つづく)
【参考:秋月龍萊『一日一禅』】