人類滅亡に居合わせたくはないが

きょうは会社の大掃除と忘年会。
ところが、多くのスタッフが各地に取材に散っている。10人近くが取材に出て、その多くは、この不況の中、年末年始をまともにおくれない人々に密着しているのだ。それで掃除するのはごく少人数。
私は片付けがとても苦手で(ほんとは「苦手」なんて言い訳してはいけないのだけれど)、机周りはもちろん周辺がいつもぐちゃぐちゃで恥ずかしい。資料さがしで半日無駄にすることもある。片付けの上手な人を見ると羨ましいが、本気で整理整頓をする決意さえすれば解決するはずなのだ。わかっているのだが、できないのはなぜだろう。
忘年会はうちのスタッフ8人に、フリーのディレクターやカメラマンはじめお世話になっている人が倍の16人。計24人でタイ風スキヤキを楽しんだ。
毎年、開会の挨拶をするのだが、今年は、去年亡くなった小田実氏の話を敷衍して話をした。私はかつて、小田氏を非常に尊敬していた。途中から、特に北朝鮮問題で決別するのだが、あの権威に屈しない根性はいまも偉いと思っている。
小田氏は、虫の眼と鳥の眼の複眼で世の中を見ろと言った。低く地面をはっている虫の視点、そして空高く舞い上がって俯瞰する鳥の眼に映る風景だ。
《新聞には、恐ろしい危機を告げるニュースばかりが載っている。誰もが不安にかられる毎日、まさに激動の時代だ。
経済だけでなく地球自体が危ない。60数億人の人類の活動をこのまま続けたら、地球に対する負荷はカタストロフィを招くことが確実だ。いま日本では環境問題のベストセラーは、温暖化はウソだという内容の、今のままで大丈夫という本ばかりだが、これは間違ったポジティブシンキングだ。破局は近い。
皆が浮き足立っているときこそ、我々は大きく俯瞰する、いわゆる「ひいたカメラ」の眼で世の中を見ることが求められる。
ローマ帝国が滅亡したとき、個々人には大きな不幸がおとずれたが、滅亡を目撃できる歴史的なチャンスにめぐりあわせた。今、我々が直面しているのは、ローマ帝国の滅亡どころではない決定的な危機である。
もちろん、我々は、自分と仲間、そして我々の子孫のために、滅亡を回避すべく必死で努力しなければならない。その熱い気持ちと、遠くから俯瞰する冷静な視点とを合わせ持とう。俯瞰して見えるのは、自分と関係ない客観的なショットではなく、その中に他ならぬ自分もいて、もがいている、そういう風景だ。
ひょっとすると、人類がたった一度だけ経験する「人類の滅亡」という、ものすごい時代に我々はめぐり合わせた。世界も試され、我々一人ひとりも試される、ある意味とんでもなくラッキーな時代だとも言える。
主観的には苦しい時代を、そういう積極的な意識を持って生きていこう。》

個人としては不幸になっても、一回り大きな眼で「幸せ」と感じる生き方はあるのではないかと思っている。