良き日本人を変えたもの2

takase222008-12-25

年の瀬、たまには気のおけない人と何を話すでもなく呑むのもいい。
夜、待ち合わせの東銀座に出ると、ライトアップされた歌舞伎座を通りかかった。まもなく取り壊されるのだなあ。記録しておきたくなってカメラにおさめた。
イザベラ・バードが日本を旅したのが明治11年
この時代、たった一人で西洋の中年女性(当時46歳)が日本を旅する、しかも北海道にまで行ってアイヌの村を訪れるなどというのは、まさに大冒険だったろう。彼女が妹など身内に書いた手紙をまとめたのがこの本であり、遠慮のない厳しい(場合によっては西洋人らしい偏見も混じった)批評が随所に見られる。また、すでにカナダ、米国、ニュージーランド、オーストラリア、ハワイと各地を旅行しているから、比較の目も持っている。日本にだけお世辞を言っているのではない。
彼女が特に気に入ったのが、私の故郷の山形県置賜盆地で、ここを彼女は「エデンの園」、「東洋のアルカデヤ」(桃源郷)と呼んだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080122
彼女にかぎらず、江戸末期から明治初期に日本を訪れた西洋人で、日本人の立ち居振る舞い、国民性を高く評価した人は多い。
岡野先生は、大学でも教えているが、学生が年々自己保身的になっているという。「国のために命をかけられる」と考える若者の比率で、日本は73カ国中72位だったという結果をどう見るかを話し合った。これでは、日本を真剣に良くしたいというエネルギーは出てこない。大きな問題だという話になった。
1945年の終戦で、それまでの強大な軍国主義の権威が崩れ落ち、自由の雰囲気を感じたことを書いたエッセイを読むことがある。一気に青空が広がったかのような解放感が喜びをもって受け止められたことは理解できる。そこに進駐軍が、アメリカ流の個人主義の価値観を持ち込んだ。第一次アメリカ化=グローバリゼーションの波と言ってもいいかもしれない。過去の価値観が徹底して洗い流されることになった。
戦後、自分一人のために生きることをよしとする個人主義的な教育、風潮が日本を覆った。いま子どもも大人も壊れていくのは、ここに大きな根があるのではないか。
大東亜戦争が間違っていたからといって、過去の価値観をすべて捨て去ることはなかったはずだ。
「昔の日本人は、生きることを自分の《つとめ》として生きていた」と岡野先生は言う。
このブログでは、これから、《つとめ》を生きるという生き方について考えてゆきたい。