ハチドリは環境危機を救うか

3年ほど前、『ハチドリのひとしずく―いま、私にできること』(光文社)という本が出て、ちょっと話題になった。アンデス地方に伝わる話を辻信一氏が訳したものだ。
《森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」》
この本のAmazonのサイトには《坂本龍一さんもハチドリの物語が大好きです!「このハチドリの話は美しすぎて、ときどき嗚咽で声が詰まって、話しができなくなってしまう……」》という説明が載っている。
感動した人がたくさんいたらしく、訳者を中心に「ハチドリ計画」という運動体もできて、「みんな少しづつでもいいからはじめよう、それこそが大切なんだ」というメッセージを出している。
メンバーたちは、自分をハチドリの姿に重ねるのだろう。きっと善意なのだろうが、こういう発想の運動は、ほんとうに環境危機と闘ううえでは、無意味だしむしろ有害だと思う。ハチドリが口ばしで水を運んでも、森林火災と闘うことには、全然なっていない。厳しい言い方をすると、残るのは自己満足だけである。
だが、こういうのは日本では共感を得るようだ。

《私は、小さなことだけど、部屋の電気を消していきたいと思います。小さなことでも、こつこつやっていなければ、自分たちの住む日本がなくなるかもしれないから、がんばります》
これは、先日、テレビ朝日の環境特番で、古舘伊知郎氏が読み上げたある少女からの手紙だ。古舘氏は、「これを読んで、涙が出てきました」と言った。
どうしてこうなってしまうのか。
危機の進行に絶望的になる一方で、解決策が分からないから、とりあえず身の回りから・・・となるしかないのだ。
少女のいたいけな決意にではなく、解決策を提示できずに、少女をハチドリにしてしまった、私たち日本の大人たちの情けなさにこそ、古舘氏は涙すべきだった。
(つづく)